静かなるエッセイ  「夕顔の開く刻」

静かなるエッセイ  「夕顔の開く刻」

 あの真っ白く大きな「夕顔」が花を持ち始めていた。よじれてとんがった蕾がヌッと出ていたのを、何日か前、裏口の小さな花壇に見付け、さあ、開花の瞬間を見るぞ、と決心していた。
 ウリ科の夕顔の開花を見ることの使命感は、白洲正子の随筆「夕顔」を読んだからだ。白洲は花が全開するのを忍耐強く待った。
 朗読の会で私はこの「夕顔」の文章を朗読したので、その練習を何十回したことか。ほぼ暗記したくらいなのに、すぐに忘れてしまうのだ。私は2度も機会を逃してしまった。が、3度目のチャンスを花がくれたのか、もう一つの蕾を見付けた。昼間見たら、夕顔の一本の茎(直径1センチもある)に、最後の蕾が一つある。今度こそ、開花の有様を見逃さないようにしよう。と、手ぐすねを引いて待っていなければならない。
 空が暮れなずむまで絵の彩色に夢中になっていて、はっと夕顔のことを思い出した。外は薄く明るい。5時40分。急いで裏口に駈けてゆき、ドアを開くと、ああ、そこに夕顔の白い顔が艶然と微笑んでいるではないか! しまった、また遅れをとった! あのよじれた蕾がゆっくりと逆に回転して、緩やかにその衣を解く様を見たかったのに……。
 5センチくらいの長さだった茎は、花底まで9センチにも伸びていた。がっしりした茎に、花茎13センチの花の葩(ひら)が湛然としている。それは夜の闇の中で月のようだ。五片の花びらが一つに繋がったその浅い露斗形は、平たくした朝鮮朝顔の花と似ている。蕊は花の寸法に対しては小さく、おまけのようにちょこんと付いている。

 こうなったら、昼間に見た萎んだ姿になるまで見張っていよう。と、何度も見に行った。が、翌朝の5時、7時になっても夕顔は依然として同じ花のままだ。
 そうこうするうちに、淡い朝日が霧のようにたちこめ始めた。すると上側の花びらが自らを内側にくるみ始め、徐々に、少しずつ、下方の花びらも包みこんでいる。花の裏側の線が、若草色に色づいて表に浮き出ている。微光を受けて、花はその色を陽の色に染めている。
 10時をすぎる頃になると、花は半分までたたみ込まれた。そしてやがて5センチほどの直径の握り拳と化した。
 この花が大きな種と成り、それを土に埋めて、来年こそ、蕾から花開くまでを見守り続け、夕顔の花を拝顔する日まで、私の心の中にずっと幻想の花ガ咲き続けているだろう。だが同時に、心の中には「怠慢・失敗」という根も張り続けているにちがいない。