鶴田静のブック・リーダーその4 東京新聞「BOOKナビ」より
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私には子どもはいないが、回りには年のいった仲良しの母娘や、幼い子どもを何人も抱えた若い、すばらしい母親が少なくない。だが世間から最近頻繁に聞こえてくるのは、母と子の悲痛な叫びだ。現代の若い母親の状態は『モンスターマザー 世界は「わたし」でまわっている』石川結貴(光文社・一三六五円)に教えられる。著者が一五年間に延べ三千人を取材した、その実態には震撼させられた。
モンスターマザーとはサブタイトル通り、自分のやり方を押し通す利己的な母親だ。彼女らの多くは「コギャル(高校生ギャル)」世代であり、出産適齢期である。子どもを私物化してわが子を愛するが、その一方、自分のしたいことを優先させ、肝心なところで子どもをネグレクトする。食事はインスタントで家事は手抜き。感情的には「爆発力」や「破壊力」をもち、そして無気力、という特徴がある。
こんな母親出現の背景には、彼女たちの成長期の社会と文化の時代があり、また自らの育ち方を繰り返すことにあると著者は分析する。そして子育てを車の免許証にたとえ、子どもが生まれる以前からの社会や地域での支援と、〃訓練〃が必要と説く。
本書を嘆息しながら読んで、『母親にしかできないこと』シェリル・デラセガ著 戸蒔奈緒子訳(イースト・プレス・一七八五円)に目が止まった。摂食障害、鬱、薬物依存、登校拒否、いじめ、暴力に苦しむアメリカの「思春期を暴走する」十代の娘を救うために葛藤する母親の手記の集成だ。まとめ役の教育博士の著者も同じ症状に苦しむ娘を持ち、本書出版当時はまだ進行中だった。多数の母親の苦しみに共振させて、著者の煩と救出の試みが報告される。これだけ大勢の少女たちが、死にも繋がる心の問題に直面していることは痛心の極みだ。日本でも状況は変わらない。本書の少女と前書の母親とは通底しているように思われる。だが「母と娘の絆」の強さで、また愛することで報われる時が来ると励まされる。こんなにも苦闘しなければならない「親子」とは?「家族」とは?を改めて考えさせられた。
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団塊世代の大量退職が話題である。だが再び新たな仕事を始めたいと望む人も多いはず。または転職やニートの就職。そのためのヒントは次の本に見つけられるだろう。
高知工科大学大学院起業家コース「木の葉、売ります。ベンチャーに見る日本再生へのヒント」(株式会社ケー・ユー・ティー・一五七五円)。このユニークな〃教科書〃は、微力な市井の人たちが大きな力(ビジネス)を手にすることのできた四つの例の取材からなる。筆者たちは主としてコースの社会人受講生だ。
ベンチャーとは話が大きいが、要は、地域の特徴的な素材を生かしてビジネスに繋げることだ。起業とは言え大方の例が、個人のアイデアを、地域で協力し合い、試行錯誤してユニークな事業へと実現させていったのである。
中でも、単なる木の葉を料理のツマモノとして売り出した徳島県の「いろどり」事業は出色だ。主役は木の葉を集める高齢者たち。他の地域ブランドと共に、町全体で携わり潤っている成功例である。
涌井徹「農業は有望ビジネスである!」(東洋経済新報社・一五七五円)は秋田県大潟村の農業を株式会社に育て上げた、本人による記録だ。著者は「ヤミ米」を売った人として世間に記憶されている。食管法廃止に至るまでの農民の苦難には涙がこぼれた。しかし著者の先見の明と努力と
忍耐の結果、彼の夢見た「新しい視点で考えた」農業を実現したのである。
それは、行政から押しつけられた生産するだけの農業を脱皮し、米や他の農産物の生産・加工・販売を一体化させた会社(協会)である。安全で美味しい米を開発をしそれを個人産直することに始まり、米を使った様々な機能性すなわち「高付加価値」を伴った製品を次々と開発している。著者は「今こそ最も農業の可能性が広がっている時代である」と高らかに言う。
両書は、今ここにある素材からでも大きな仕事を生むチャンスがあることに気付かせる。仕事を探す若者も、仕事を自立させたい人も夢を与えられるだろう。それを現実化するのは自身の情熱なのだ。
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外は寒い、出たくない。だからこそ旅に出よう。堅めだが懐かしげなタイトルに、おや?と惹かれた酒井順子著『女子と鉄道』(光文社・一三六五円)を読むと、暖房の利いた車内で温もり、ごとごと歌う列車の子守歌に乗ってどこか未知へと運ばれるような気分になる。誠に心地好い。
著者は無類の鉄道好きで、厳冬期の旅行を好む。茶道、華道に続き、鉄道という道もあるとしている。女子と強調しているのは、鉄道は「男性ばかりの鉄の世界」であり、そこに入り込む女性の勇気を鼓舞するためだろう。
添えられた日本地図の全体を、新幹線やローカル線、はてはリニアやトロッコでくまなく旅した著者のエネルギーと好奇心の大きさに脱帽する。
鉄道のインデックスからする考察がとてもおもしろく、鋭い。制服やスイカ・カード、鉄道菓子、写真、新幹線の顔などのアイテムに関する話も楽しめるが、「晩婚・少子化と女性専用車両」、「女子と夜行の歯がゆい関係」、そして「痴漢は犯罪。なのになぜ?」の分析は、さすがこの著者の面目躍如たるものだ。ユニークな文化論である。
冬の道を喜んで歩く人がいる。海野弘著『武蔵野を歩く』(アーツアンドクラフツ・一九九五円)は、鉄道ならぬ自分の足を使う旅だ。「百年後の新『武蔵野』」とあるように、国木田独歩の同書からう変わったかを検証する。
五感を全開させて歩くことは「なんのためでもなく、すべてのためである」とする著者は、遭遇したすべてについて言及する。ウォーキングで食べた物、武蔵野に住んだ多くの作家たちのエピソード、神社仏閣とその歴史と縁の人物。四季の風景と自身の感情。歩く旅のガイドに止どまらずエッセイを愉しむ本でもある。
地図の範囲内は私の長年の領域だったのだが、武蔵野にこんなに多数の神社仏閣があるとは知らなかった。地図を眺めると東の京都にも思えてくる。本書はまず、今そこに住んでいる人々に読まれ、使われることを願う。するとより一層武蔵野を愛したくなるだろう。美しき善き場所が失われないよう祈りたい。
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ある勉強会に参加した女子高生が「私はうつです。睡眠薬を飲んでいます」と、雑談中に言ったので驚いた。確かに周囲にはうつの人が多い。思いの他十代からの若者に顕著だ。だが他人事ではなく、自分は大丈夫かとも考える。
『精神科医の本音トークがきける本ーうつ病の拡散から司法精神医学の課題まで』香山リカ+岡崎伸郎著(批評社・一五七五円)によると、うつ病の生涯有病率は一三パーセント、七、八人に一人の割合というから、「『うつ病』というものに市民権が得られてきた」らしい。風聞だが、アメリカではうつ病に処方される薬を「ハッピー・ピル」と呼び、それを服用することを隠したりしないそうだ。
本書は〃有名ドクター〃の二人が、その専門である精神病理学の世界を本音で語り合った対談集だ。一般人としては、知られざるこの〃業界〃の裏話は興味深い。だがそれ以上に、彼らがうつ病をどうとらえ、どのように処遇しているかが大きな関心事だ。
医者の道二〇年の彼らによると、従来の「内因性うつ病」が減ってきて拡散し、タイプは特徴的だった「自己批判性」から「他者過敏性」に変わっているという。カウンセリングする著者たちの談義は、自身の診療室内にとどまらず、当然ながら外の世界にまで及び、今日の精神病理の状況や問題点を浮き掘りにしている。
『うつで人は豊かになる』生井隆明(VOICE・一八九〇円)も、インタビューに答える会話体で書かれている。著者はうつはストレスから作られ、その原因は「不快、不安、不満」であるとして、そこを基点とする治療を行うストレス・セラピストである。
うつ状態から解放するには、本来のリズムに戻すこと、と、著者の治療はまず、整体を施し階段を歩き、朗唱をする。それからじっくりと対話する。〃精神〃だけでなく、〃全身〃にわたる治療法はユニークで人間的な印象を与える。著者の研究分析になる図表や、十人のうつの典型例が示されていて分かりやすい。うつは、「豊かになるためのチャンス」という著者の言葉は大きな励ましになるにちがいない。
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秋の深まりと共に食欲が増すのは、健康な証拠だろう。けれども食欲にまかせて食べれば良いのではない。まずは食の問題を、服部幸應著『増補版食育のすすめ』(マガジンハウス・一四七〇円)で知っておきたい。
食という字は「人」に「良い」と書く、と強調する著者は、最近の食の乱れの原因と対策を「豊かな食卓をつくる50の知恵」として提示している。現在とみに「食育」の必要性が声高に叫ばれているのは、子どもたちの貧相な食生活が懸念されるからだ。それはとりもなおさず、彼らの親が核家族の世代であり、家庭での良い食事の仕方を上の世代から学べなかったことに一因する。だから本書は、子どもたちの食の在り方にとどまらず、老若男女すべての世代に向けられている。
食物と栄養成分と病との関係、学校と社会における食、台所と食卓の周囲、さらに食を委ねる世界市場と環境・食糧問題までの項目は、図表付きで簡潔に楽しく解説されている。食にこだわってきた私だが、ここで改めて自分の食を検証してみようと思う。
さて食べ物が身体の中に入ると、必ず外に出るものがある。排泄物だ。そして二酸化炭素。これらを「食べた分—摂りこんだ分=出した分」の方程式のもと、その計られた量が中野不二男著『カラダで地球を考える「完全なる代謝」という発想』)新潮社・一五七五円)に明らかにされている。著者自らを実験台にして測定し、またアメリカの人工地球「バイオスフィア2」や日本の「ミニ地球」の実験結果その他から、数値を引き出した。それは驚くべき量だ。
植物が二酸化炭素を吸収し、酸素を放出している自然界では、物質が無駄なく循環しているという。それでは人間の代謝の循環はどうか。身体を出入りするものの収支は合うか。だが大いなる探訪の後で著者が辿り着いたのは、二八パーセントしかない日本の食糧自給率の問題だった。食の未来はどうなるのだろう。
科学書的な内容だが、ノンフィクション作家の軽妙な文体によって、科学に疎い私にも十分理解でき面白く読めた。鶴田静(エッセイスト)
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