★以前執筆した朝日ビジュアルシリーズ「野菜づくり花づくり」
の連載エッセイ「ソローヒルの庭から」を大幅に加筆改稿して1年間52回
週刊連載します。自然を愛する人々、田舎に住みたい方々に読んでいただければ幸いです。
文・鶴田静 / 写真・エドワード・レビンソン 禁転載
「ソローヒルの庭 12ヶ月52週」
8月
ソローヒルの庭で 第23週 2013/8/5から
立秋 原爆忌 季節の移ろい
立秋だというのに、猛暑の日々は続き、万緑が目に痛い。まだまだ成長を止めない木々は、葉で覆った枝を四方に張り出し、窮屈そうだ。風通しを良くして、涼しくしてやらなければ。と、この頃の主な庭仕事は、伸びるに任せて混んでいる枝の切り落としだ。花芽を失なわないように、注意深く切ろう。
そしてもう一つの注意。それは茂みの奥深くにしつえられている巣である。鳥の巣もあれば蜂の巣もある。彼らの住まいの見事な造形美には驚嘆する。が、うっかり蜂の巣を壊し、怒った蜂に刺されて命を落とすこともあるのだ。庭仕事にも、様々な危険が潜んでいる。
植物の再生と生長の生命力は驚異的である。人間の皮膚やある部位の内臓の再生能力に感動するが、寿命は植物の長さに及ばない。だが人は、いとも簡単に木を切り払い、根こそぎにしてしまう。その愚行を嘆く者も多い。まめに世話をすれば、来年もまたきれいな花を咲かせ、葉や実を付けてくれるのだ。来年、か。一年を待つスパンは長い。そして短い。
一生の長さから言えば、野菜は比較的短い。何ヶ月かで立派な食物となり、食べられて完結する。そして人間の命の一部となり、からだを維持するのだ。生命を使い切り、終わりになる株もある。トウモロコシやナスなどだ。茶色に枯れ、虫に喰われ。迷う心を鬼にして、堅くなった茎を引き抜く。だが時期と場所をずらして植えてある同じ野菜が、新しい実をはらんでいる。支柱をしっかりと立てて、本格的な台風シーズンや、時折襲ってくる夕立や雷雨に備えよう。
今週は広島忌と長崎忌との原爆の日があった。各市長や子どもたちや被爆者の「平和への誓い」を聞いて、憲法九条が破壊されないように、非核宣言の固守を祈った。
日課の草搔きや、種々の球根掘り。その他諸々の作業の合間の息抜きは、近くの海へ行くこと。夫はサーフィンに興じ、私は砂浜の花園を訪れる。 (はまゆう)、浜防風(はまぼうふう)、浜苦菜(はまにがな)などが立つ波を背にして、潮風の中で咲いている。ふと、わが水瓶の小さな海に浮いているホテイアオイが目に浮かんだ。沖からの風はそっと秋を運んでいる。が、里には秋はまだ届かないようだ。
宇宙の色に染まったアサガオが、毎朝、晴れ晴れと鮮やかな花を開いている。天色(あまいろ)、瑠璃色、本紫(ほんむらさき)、そして濃紅(こいくれない)。家の外壁の2面に群生を這わせ、緑のカーテンを作った。早朝に五色の花々を観ると一日が爽やかに始まる。しかし寝坊をすると………。
叢生(そうせい)の狭間では、夕刻に咲くマツヨイグサが黄色い花を未だ閉じていない。夜の明けるのが惜しいのだろうか。蝉の声も相変わらず高い。きっと、季節の移ろいをいち早く感知する自然は、それをさえぎり止めようとしているのかも知れない。
ソローヒルの庭で第24週2013/8/12から
お盆を迎えるのは。敗戦日
炎天下の野菜畑で、涼しげに、穏やかな笑みを浮かべている小さな花々がある。この黄色や白や紫色の小花が、その何倍もの大きさの、どっしり丸々とした実になるのは、一種の神秘だと思う。こういう、花から実になりそのまま食べられる野菜を「花落ち」という。トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、オクラ、シシトウ、赤トウガラシ、その他色々。花落ちを籠いっぱいに収穫して、一つ一つ顔を撫でていたら急に思い出した。お盆がやってくる。
つやつやのナスと、手応えのあるキュウリを一本ずつ選び出す。さてこれから、ご先祖様を此岸に招くお迎えの馬と、彼岸へ送る牛を作るのである。動物にする野菜には、馬と牛の身体になるべく似た、曲がったキュウリや熟れすぎたナスを使う。自家栽培ならではの野菜でこそ、それらしき姿になる。
脚は間引きのニンジンや枯れ枝、目はノイバラの実、耳は小さな葉っぱ、尻尾はトウガラシの青い実やニンジンの葉。昔、母や祖母から教わって作ったのには脚に割り箸を使ったけれど、エコロジカルに暮らさなければならない現代では、割り箸はちょっと気が引ける。庭や野に出れば、工夫して使えるさまざまな素材が豊富にあるのだ。
農村の信心深いお年寄りたちは、お盆用に麦を栽培している。小麦粉にして、お供えのお団子などを作るのかと思うがそうではない。麦わらを焚いて迎え火にするのだ。目印といえば、今頃は赤いホオズキが出回っている。漢字で酸漿、鬼灯と書く。お盆に飾ればその形と色で、先祖の霊の行き先ははっきりと分かるだろう。田舎で見かけるのは、長い穂に赤紫の小さな花を密生させたミソハギだ。お盆の仏前に供えるので精霊花とも呼ばれる。禊萩(みそはぎ)
と書き、花につけた水で供物を浄めるみそぎの意味から。
わが家のように仏壇のない家庭では、お墓参りをし、馬や牛を作り、庭の花を飾って姿なき家族と共にひとときを過ごすことにしよう。自分で育てた野菜や花が、過去と現在、此岸と彼岸、先祖と子孫をつなぐ媒体となるとは、命の循環や魂の交歓、あるいは輪廻の体現のようでうれしいではないか。
八月十五日。日本人が永遠に忘れることのない日だ。最近では戦争は避けられた可能性があった、と言われるようになった。そうだとしたら、300何十万人の戦死者や、被爆で亡くなった人々、今も苦しんでいる被爆者にどうやって謝罪できるだろう。
お盆休みで帰省した家族連れで、いつもは閑散とした過疎の村が賑わっている。幼い子どもや若者が急に増えて、驚くやら楽しいやら。買い物客の手にはたいてい大きなスイカが。私も、来客のために、いつもの農家で出来た大球を買う。よく冷えたスイカは、炎暑を一時、忘れさせてくれる。誰かの提案で、スイカの種を口から飛ばす競争をした。土の上に落ちた種から、来年は庭のどこかにスイカが生るだろう。
(次週へ続く)
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