鶴田静のブック・リーダー アーカイブより その2

これまでに各紙に掲載された書評やナビを再録します。掲載は数年前からですが、どれも旧くてなお新しい。未読本がありましたらお読み下さい。


『海からの贈りもの』アン・モロウ・リンドバーグ著 落合恵子訳 立風書房
『人間の大地』犬養道子 著 中央公論社
『新しい人よ目覚めよ』大江健三郎著 講談社
『夢見つつ深く植えよ』メイ・サートン著 武田尚子訳 みすず書房
『故郷』水上勉 集英社
『時が刻むかたちー樹木から集落まで』奥村昭雄 農文協
『イーハトーボの総合学習』井手良 一ツ橋書房
『癒す心、治る力』アンドルー・ワイル著 角川書店 

以上は (日本農業新聞読書欄「こころの1冊」) 2004-5年 月1回連載 
PSの
青字は筆者のその後のコメント。なお、紙上に掲載の著者プロフィールは省略しています。

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その2

『海からの贈りもの』アン・モロウ・リンドバーグ著 落合恵子訳 
立風書房
—人生を貝殻に託して

 海は我が家から三キロ。いよいよ夏の海を楽しめる季節になった。泳げない私はもっぱら浜辺で貝殻を拾い集め、部屋を飾るオブジェにする。
 アン・モロウ・リンドバーグは、貝殻を思考のオブジェとした。家族から離れて一人、メイン州の島の簡素な家で数週間を過ごし、そこで貝殻に託して人生や人の在り方について考えたのだ。著者の自問は、形のさまざまな貝殻から答を授けられる。
 彼女は夫と子どもたちを世話し、家事をする繁雑な暮らしから逃れ、一人の女として、一人の物書きとして、自分自身でありたいと願う。「それには生活を簡素にすることだ」、と〃にし貝〃のシンプルさから学ぶ。人は皆孤独であり、女が満たされるには一人になること、と言う〃つめた貝〃。二枚の貝をぴったりと合わせた〃ひので貝〃は、友人、恋人、親子、夫婦、男女の移ろいやすい関係性について考えさせる。中年となり「それなりの歴史ができてきた夫婦」は「本当の意味で自分自身であることができる年代」である、と気づかせる牡蠣の殻。〃あおい貝〃は、過去や未来の関係を思い煩うことなく、現在の状態をそのまま受け入れる安定した人間関係をイメージさせる。
 このような思考を経て著者が強調するのは「いま」「ここ」「個人」を大切にするということだ。海からの贈り物の貝殻―それぞれの名前の何という美しさ―に託されて著者、読者、そして現代の女性たちが受け取ったもの、それは本書に追加された初版から二十年後に書かれた章によれば、「女たちにもたらされた、大いなる勝利」である。そして今、著者の予測どおり、世界の困難な状況を、女と男が協力し合って改善していくのである。 
 旧訳書では著者名が「リンドバーグ夫人」となっていたが、本書で初めてフルネームが記された。女性や弱者の側に立つ視線をもって作品を発表している、作家である訳者の配慮によるものだ。
(PS=訳者の落合恵子さんは子どもと親、女性のための「クレヨンハウス」主宰。2011/9/19の「さよなら原発1000万人」集会や署名でも活躍なさっている。)

『人間の大地』犬養道子 著 中央公論社

 私は本書を「子どもの日」から「母の日」にかけて読み、この拙稿を書いた。著者は頁の随所で、この本を「日本の女性」たちに読んで欲しいと呼びかけている。そして「全世界の飢餓児童、難民児童」にささげている。添えられた何枚かの難民の母と子の写真が、著者の緊迫感をもった語り口に拍車を掛けている。
 この本は二〇年余り前の世界の実情を伝えたものだが、今なお読む者に重く迫ってくる。平和ぼけした私たちは一撃をくらうだろう。そして過去のこととして無視できないだろう。なぜなら人間が永遠に必要とする食の在り方の、その歪みを摘発しているからだ。歪みすなわち不正は、現在も世界的規模で行われているではないか。
 著者がルポし分析するのは南北問題である。なぜ難民が生まれたのか、なぜ飢餓が起こるのか、なぜ大地が荒廃するのか。その答えは、緑の革命やアグリビジネスと多国籍企業の進出、そして食の生産場である森や大地の消失である。つまり北側先進国の飽食と贅たくと経済的欲望とが、南側諸国の人々の「職と食」を奪っているのである。
 その仕組みが女性にも分かりやすくかつ専門的に説かれている。何よりも、この事実を多くの人々、繰り返すが〃女性〃に知ってもらいたいと。と言うのも、私たちはグローバルな(地球大の)家で生きているからであり、このたった一つの家を全世界の人々が協力し合って運営していかなければならないからだ。「グローバル・ハウスキーピング」と著者は強調する。
 私たち豊かな日本人こそそれに参加しなければならない。その方法は、食事について考え、環境を大切にし、そして南の国々の子供や女性、弱者に思いを馳せ、彼らに対して出来ることを実行することである。
 今世紀になっても食、難民、飢餓、戦争の問題は続いている。私は本書を、誰もがもう一度読むことを勧めたい。「『人間の大地』和解蘇生の大業」をこれからも共に為していくために。


『新しい人よ目覚めよ』大江健三郎著 講談社
—うらやむべき父子の愛

 私事だが私と夫は何年前、知的障害のある少年を里子にしたことがある。彼は東京の擁護施設に入り普通学級に通っていたが、休みになると帰る家がない。そこでその間私たちと暮らしたのだ。 少年との生活は楽しかったが、悩みもあった。持病を抱えていたし、いろいろな制約があり、それと対処するには〃初めての子〃をもった私たちには難しいことが多かった。そんな体験をして出会ったのが本書である。
 脳に障害を持って生まれた息子と、その父親である作者の「生活の細部」がつづられた本書は、短編小説の連作集である。作者の文学活動や人的交流が赤裸々に語られており、作者の愛するイギリスの詩人ブレイクの詩句が散りばめられ、また息子の発した言葉―なんと文学的だろう―が太字で書かれていて文学の薫りはかくも高い。
 だが私はむしろドキュメントとして読んだ。この作家の著作は多く読んでいる私だが、本書には涙した。
 父親の息子へのこれほど大きな愛情、そして息子のこれほどに深い父親への思いやり、親子なら当然のこととは言え、今では希薄になったこのような父と子の関係には、女性であり子のいない私にはうらやむべきものがある。
 父と子をつなぐ強い「チカラ」。父と息子の魂のつながりは、息子が成長するにつれて日に日に深まっていく。そのつながりを作者はブレイクの珠玉の詩句でしっかりと結び合わせる。そしてついに成人した息子とその弟妹に、「眼ざめよ、おお、の若者らよ!」と未来への希望を託す。〃この父〃と他の家族に囲まれた息子が幸せでなくてなんであろう? その喜びは、息子を音楽の世界に浸らせ、彼自身が音楽を作り、世の中に贈ることをなさしめているのだ。
 作曲家大江光の魂が舞踊るようなCDを聴く時、そして成人して今は実母と暮らしているかつての里子を思う時、私は本書を開き、何度目かの再読をするのである。
(PS=ヒロシマからフクシマへ。大江健三郎氏は「1000万人さよなら原発」の発起人。911の集会の発言は心に残る。『静かな生活』の映画化も。そのプレミアム上映会で、私たちは、大江氏、大江光氏、監督の伊丹十三氏らと共に鑑賞した。)

『夢見つつ深く植えよ』メイ・サートン著 武田尚子訳 
みすず書房
—田舎暮らしの座右の書

 庭を一巡すると、怠惰な私の仕事ぶりにもかかわらず、いくつかの部屋に飾れるほどの花が摘める。「花を生けるのはちょうど言葉を一言ずつ試してはフレーズを組み立て、またそれを壊すのと似ている」と、サートンは詩人らしく書いている。だが本書は園芸の本ではない。都会から移住した作家・詩人である中年の独身女性が、田舎暮らしの始まりから書き起こした一九五八年より十年間の自伝的エッセイである。 
 最近、日本各地で都会人の田舎暮らしが盛んである。定年退職者のみならず、独身、若い夫婦、幼子のいる家族、農業就労者からアーティストまで様々だ。そして多種の体験記が書かれている。それらには(私自身の著書も含めて)時事的歳時記的な記録が多い。
 本書もそのような素材で成り立っているのだが、どちらかというと人生哲学の書である。とくに孤独についての思索は深く、サートンの魂の奥底からわき出たような言葉に遭って、私は度々はっとさせられた。「沈黙は私の求めていた食物だった」。孤独の寂しさがあるとすればそれを乗り越えようと、「孤独こそわが領土」と美しく整えた家を伴侶に、彼女は自分自身を客人としてもてなす。
 サートンの文体や表現にはもちろん魅惑されるが、彼女自身がどのように新しい土地に根づくのかに関心を持った。初めて知り合う近隣の住民や職人たち、遠くから訪れる旧友、そして何よりも自然との交流を洞察し、一種の思想に昇華したのは「田舎の生活は人を強く内面に向ける」からなのだ。
「夢見つつ深く植えよ」の植えるものは、「夢見る思い」なのである。それは地中深く埋められ、いつの日か花となる種や根や球根であるだろう。小さな村でサートンが得たものはかくも大きい。それを後に続く幾冊かの本として私たちに遺してくれた。それらはやはり田舎暮らしをしている、都会人の私の座右の書となっている。


『故郷』水上勉 集英社
—変容を憂う思いに共感

 人生の終盤をどこで過ごしたいか。故郷で、という答が多いだろう。本書の主人公も同じである。しかしその故郷は「安息の地」となり得るか?
 アメリカで成功した初老の日本人夫婦が法事のために帰国し、故郷を訪れる。そこは福井県の若狭湾に抱かれた小さな村。妻はいずれ、母の住む故郷に家を建てて住みたいと願う。だが夫は、若狭湾周辺には原発が多数建っているので、その近くに住むのを嫌う。
 この村の別の訪問者は、アメリカ人の父と日本人の母をもつ娘。離婚後行方不明になった母を捜して母の故郷にやってきた。一人暮らしの祖父を始め、村人たちの人情味濃い対応、そして美しい自然にアメリカ娘は感動する。言葉の通じない彼女が親しくなったのは、原発勤務の日本人と結婚し、自ら農業に励むフィリピン人の女性。村人は、この二人の若い外国人から、若者が減少して過疎になった村の再生の可能性を思う。
『飢餓海峡』や『筑前竹人形』の読者である私は、その著者にしては本書は〃現代的〃なテーマだと思った。そして著者の故郷である若狭を訪れ、かの地また日本各地で起きている問題を知り、著者のやむにやまれぬ思いに共感した。原発によって、あるいは大企業進出によって、日本中の故郷が「めげる(こわれる)」目に遭った。それは 「大勢の都会人を村に連れてきて、町の経済発展に大きな力をくれた」が、作家が万感を込めて綴る「古いしきたり」、「美風」、 「村人の独特のおおらかさ」を「根こそぎ変えて」しまったのである。
 本書の元はバブル末期に書かれた新聞連載である。あとがきには「事実でない」とあるが、事実は小説に急接近し、本書に描写され著者が憂えた農漁村の変容ぶりは、現実に日本の風景を変えてしまった。読者は誰でも、自分の故郷のこととして実感するに違いない。
 危機感を抱いた最近の農村では村興しが盛んだが、〃無駄な開発〃がなされないことを願っている。
(PS=東日本大震災とフクシマ原発事故後の日本に通底する。)

『時が刻むかたちー樹木から集落まで』奥村昭雄 農文協
—自然なしでは生きられない

 時が刻む形、とはなんと味わいのある言葉だろう。本書は博物誌だが、建築家の著者の緻密に観察するドキュメントだから、生き生きとした文章によって私たちも実体験のように愉しめる。温かい視点からのまろやかな語り口は、自然の中で生き物が生きていく熾烈さの印象を和らげている。 第一章は「樹形を読む」藤、宿り木、からすうり、柳などを例にその種子、蔓、枝形から、植物の生態を解き明かす。この神秘に満ちた深遠な植物の世界を、建築家が描いたとは到底思えない。だが著者は言う。「人工的につくった環境ではなく、自然から引き出した心地よさを求める建築」には植物が、また自然エネルギーを建築に利用するための研究には樹が、「畏敬すべきお手本になった」 第二章は「木曾谷物語」木曾谷の民家五八棟の実測調査に基づいた記録と話の数々。まるで民話を読むような面白さだ。「木曾の民家と集落と自然との美しい調和は、この自然法のもとで、人々の謙虚さと勤勉によって生み出されたもの」だと著者は結論する。
 第三章は蜜蜂や巻き貝や猫などの登場する「不思議な生き物」。著者が関心を持つ様々な物を専門的な研究対象としてしまい、また、挿画の動植物も建て物の構図でさえも、細密でかつ詩情に溢れて描ける著者自身を、私は畏れながら〃不思議な生き物〃と称えたい。 実は私自身、農村の古民家に住み、太陽光発電機を取り付け、自然生活を試みてきた。最近自分で設計した家を建てた。日々、野にある動植物と交歓して暮らし、事あると専門的だが楽しい本書を開くが、毎度、自然なしでは人は生きられないと再確認をするのである。
 人間にも「時が刻むかたち」があるだろう。人間の、時に刻まれた外観そして内面はどう変化しているのだろう。どのような形になっても、それが美しくあるように生きたいと私は思う。すでに人生の最後の方にいるが。

『イーハトーボの総合学習』井手良 一ツ橋書房
—賢治の心 学校教育に

 受験シーズンで生徒も教師も親も緊張するこの頃。今は小学校、いや、幼稚園から受験があるそうだ。人生の始まりから競争社会に組み込まれているなんて。と思うと本書の中の学校は、ユートピアの世界に思える。
 読売教育賞受賞の著者の理想とする学校、それは著者の私淑する宮沢賢治の精神を引き継いで「イーハトーボ」と名づけられた。本書にはそこでの授業ークラスの時間の過ごし方の様子が生き生きと描かれている。
 02年の「総合学習」が始まる前から、著者は「管理された学校」でない「学校を創る」試みをしてきた。その方法は教科書を使うのでなく、春には野草を摘んで料理して「春を食べる」。お茶会を開く。桑畑を作り、蚕を育て、糸を紡ぎ真綿にする。桑の葉や実を食べ、染め物をする。同時に勉強するのが富国強兵政策や邪馬壹(壱)国や遺伝子や性教育である。これぞ「総合学習」だ。 
著者の手にかかると、音楽は詩になりダンスになり絵になり、子どもたちは青虫になり蝶になりチューリップになる。作曲家の林光が授業をし、ピアニストが演奏をし、宮沢賢治はもちろん谷川俊太郎の詩が朗読され、はたまたモーツァルトやシューベルトが歌われる。読んでいる私も、本の中の先生と生徒と一緒になり、楽しい授業に心踊らせている。
「子どもが成長していくのに今、学校でもっとも欠落していることをたいせつにし、感性を磨く教育」を著者は目指した。教室は「文化を伝えるところ」だが、ただ伝えるのではない、「その文化を仲立ちにして子どもたちと教師が創造的営みをしてこそ、子どもたちに文化は伝わっていく」と。クラスでの子どもたちの歓声や生き生きとした動きは、それが真実であると示している。先生も生徒も、なんて幸せなのだろう。
 本書は、私にとっての貴重な教科書となったが、今の危うい学校を思うと、本書は多くの学校での〃教科書〃となるだろう。

『癒す心、治る力』アンドルー・ワイル著 上野圭一訳 
角川書店
—難病克服する心身医学

 慢性胃炎の持病がある私は、時々胃カメラ検診を受ける。その必要はない、と思っても、もしやと不安になり、安心するために受けるのだ。が本書を読むと、無用なことをしたものだ、と健康への自信のなさと、医者への依存症を反省する。
 人間は長いこと、近代医学も代替医学も医者も無しに種を保存してきた。それは「種の生存そのもののなかに治癒システムの存在が組み込まれている」からだとする著者は、だれのからだにもある『健康を維持し、病気を治そうとする自然の力』を信じてほしい、と願う。その治癒システムすなわち治癒系について、専門的にかつ一般的に書かれた本書は、私たちにも解りやすい。医学博士であり臨床家の著者の、患者に対する、また人間に対する愛情がページに満ちあふれている。
 本書にはこの治癒系の存在を裏付ける、難病を克服した〃奇跡的な〃事例が豊富に語られていて興味深い。病気になったら、病状が改善するようなライフスタイルに切り換えることである。病気の発生にはこころが関与しているから、「治癒の心身相関的な側面」についての心身医学を発展させることである。こう博士は説く。
 最近日本でもストレスや自律神経失調症、パニック症候群が心身医学的であるとされている。また癌の治療法として笑いの効用が試みられている。約10年前に本書で心身医学の重要性が指摘されたが、その成果は、今日の日本でも実をつけている。 
 第二部は「治癒系を最大限に活かすには」として、その方法が列挙され、ハンドブックのようだ。病を防ぐライフスタイルの指針が、病の発生の仕組み、食生活、食品、代替治療法などの項目で記されている。実際にそれらを採用するかどうかはともかく、近代医学とは別の可能性がこのように広範囲にあると知り、希望がわく。それにしても、病で早世する人々が私の周囲で増加していることが残念でならない。
(PS=ワイル氏とは、80年頃に東京にいらした折りにお会いし、パーティーで楽しくすごした。その後にお便りも頂いた。)


鶴田静のブック・リーダー 
アーカイブより その1

団塊の世代が社会の中心となっていた頃の本も。今も必読の価値あり本。
青字は筆者のその後のコメント

自然の死』キャロリン・マーチャント著 団まりな訳 工作舎
『レイチェル・カーソン-運命の海に出会って』
  マーティー・ジェザー著 山口和代訳 ほるぷ出版
『ええ加減にしなはれ!アメリカはん』米谷ふみ子著 岩波書店 
『自然に還る』福岡正信 春秋社
『スローフードな日本!』島津奈津 新潮社
その他

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『自然の死』キャロリン・マーチャント著 団まりな訳工作舎1985年

取材談話
「自然の破壊があちこちで進み、いやだ、いやだ、といつも思っているんです。そこで本のタイトルに引かれて買いました。サブタイトルが「科学革命と女・エコロジー」。デカルトやニュートンといった哲学者や科学者の自然観をゆっくりとひもといています。アカデミックなのですが、かみ砕かれた文章で、私のようなしろうとにもよく分かります。例えば、中世以降の近代科学というのは、男の力・機械化によって自然を侵してきた、とか。問題になっている原発は、そのシンボルのようなものですよね。とても納得出来る本です。(鶴田静)」
朝日ジャーナル BOOKS 心に残る一冊」 1988年2月26日号 掲載
(PS=おお、あの「朝日ジャーナル」! 同じ号には、「原発」欄に、伊方原発の出力調整実験中止を求める高松市内のデモ、東京渋谷で「原発止めよう東京行動」のデモが報じられている。読書欄には『現地ルポ チェルノブイリ』(読売新聞社刊)も紹介されている。少なくとも私たちは、当時から脱原発への行動を起こしていたのだ。)

『レイチェル・カーソン-運命の海に出会って』
マーティー・ジェザー著 山口和代訳 ほるぷ出版

(解説)力—ソンの子供たちと共に 鶴田静

 
谷越えの鳥たちが、その羽のように柔らかい若葉をつけた柿の木の枝で休んでいる。時折、地上の虫をついばみに舞い降りる。再び浮上すると、休息と食事の感謝の印なのだろうか、朗々とさえずり始める。その歓声は谷を渡っていき、向うの山からこだまして帰ってくる。緑の風と太陽のきらめきに乗って。
 光と音と、色彩と感触に満ちたこんな光景の中で、私は毎日を過ごしている。農村の外れの、山に通じる道の入り口にある旧い家で。ここに東京から引っ越したのは、自然を愛するからにほかならない。私に愛された自然は、深く、濃く、優しさに満ちて私をその懐に抱いてくれる。けれども時にはその激しさで、貴重な教えを授けてもくれるのだ。
 私の自然に対する愛情は、あの恐ろしい体験をしなかったら、これほどではなかったかもしれない、と今思う。それは、東京の密集した住宅地での出来事だった。ある春に、私の回りの家数軒に、白蟻防虫剤のクロールデンが散布された。真夏になると、開け放した窓から、力ーテンをそよがす風と共に、刺激臭が私の部屋に入り込んできた。喉が焼けるように熱く、痛く、呼吸もできず、頭痛や囎吐蹴が長いこと続いた。その夏と翌夏、クロールデンの刺激臭と私の体の不調は繰り返された。
 最初の夏、私は、防虫会社や保健所や消費者センターや弁護士に被害を訴え、薬品の濃度を測定してくれるように求めたが、どこも薬品の被害としては取り合ってはくれなかった。防虫会社社員は言ったものだ。「この薬は安全ですよ。撒いたところに赤ん坊が寝ていても大丈夫です。飲んだって何ともないですよ」。蝉の声も聞かれず、蚊も蛍も出ない夏だった。「沈黙の春」ばかりか"沈黙の夏"もあることを、私は思い知ったのである。そして翌年、クロールデンは使用が禁止された。
 都会の体験ばかりではない。農村にあれば農村でも、田畑に撒く農薬の被害を受ける。
 私のたんぼではむろん無農薬で米作りをしているが、おおかたは農薬を使っている。空中散布もする。緑の海のように輝く鏡田の間を自転車で走る時、息をしないで一気に駆け抜けなければ、その日はずっと体がだるい。
 この身が農薬の危険にさらされて心に浮かぶのが、カーソンの『沈黙の春』である。悲しいことだけれど、私はカーソンの説を身をもって体験しているのだと思う。この本は、一九七七年に初めて読んで以来今まで、私の頭から離れたことはない。内容の壮絶さに驚いたことも一因だけれど、何よりも私に、環境に対する態度がどうあるべきかを思い知らせてくれたからだ。
 カーソンは繰り返し繰り返し言っている。
「自然のバランスは生物間の相互関係、および生物と環境との一連の相互関係から成り立っています。」、「人間の自然に対する態度は今日、きわめて重要です。なぜなら、私たちは今や自然を変化させ、破壊することもできる決定的な力を手にいれたからです。……人間は自然の一部であり、その自然に敵対することは、とりもなおさず自らに敵対することなのです」と。そして私自身は、自然に謙虚な態度で接するようになったのだが。
 歴史上に残る一冊ともいえる『沈黙の春』を書いた女性は、一体どんな人なのだろう? 同じ女性として、何か素晴らしいことをする女性に、私はいつも、ことのほか大きな関心を持つ。だから、本書を無我夢中で読んだ。そして、『沈黙の春』を書くようにいわば運命づけられていたけれど、そのすさまじいほどの努力なしには体に癌を抱えたまま、文字通り命をかけることなしには完成しなかったことを知って、私の心はずっしりと重くなった。
 書くように運命づけられていた、と思うのは、カーソンが生まれ育った農場と母マリア、この両者から自然への関心と、自然の法則すなわち摂理というものを学んだからだ。また母親マリアによって、女性という性を意識することなく、いや当時ではむしろ意識して、自分の持つ能力を発揮するよう育てられたからだ。本書から、昔の進歩的な女性、マリアを知ったのは私にとって大きな収穫だった。そしてカーソンは見事に、わずか十歳で作家の仲間入りを果たしたのだから、まさに運命づけられていたと言うほかはない。
 海を知らず、海に憧れているばかりだったカーソンが、後に海洋学者になったこともまた、素晴らしいことである。どんなものでも簡単に手に入れることの出来る現代から見ると、無いがために抱く欲求や夢や希望や理想、そのようなものがどれほど原動力になるか、カーソンの場合から理解できるだろう。大恐慌や戦争という逆境にあっても、カーソンが「自分の天職を見出した」のは、彼女の憧れの、つまり理想の大きさによるのではないだろうか。
 私は海から十キロにも満たないところで暮らしているので、毎日のように海に行く。そしてもっぱら、景色としての海を眺めている。黄金色の夕日に染まり金色に変わった砂の上を、浜千鳥たちが群れをなし、整然とそして悦惚となって歩いている。人気のない静かな雨の浜辺で、親かもめが子かもめたちに飛び方を教えている。海亀が、温かい砂を寝床として産卵する。ウニやサザエや、わかめやひじきが、岩陰で安眠をむさぼっている。
 けれども、海の中の生物が棲みにくい環境になったことは、浜辺に打ち上げられるさまざまな、およそ海にあるべきではない物質から知れる。その中にはもちろん、カーソンの指摘した農薬や、化学物質が含まれている。
 そのような海岸を、市民が年に何回か集まり、浄化する活動が展開されている。その活動の中には、田畑はもちろんのこと、リゾート地やゴルフ場に農薬を撒くことに反対し、川や海、水を汚す合成洗剤を使わないよう訴えることなども含まれている。
 そしてその中心をになっているのは、子を持つ親や、これから子を産む女性や、子供たちに清浄な地球と正常な社会を残そうと願う人々である。彼らは自ずと、カーソンの遺志を継いでいることになるのだ。
 生命が生まれる海、その海の尊さを、カーソンはどれほど熱い想いで伝えたことだろう。
「生命を地球につなぎとめている本質的な調和という観点から、海辺を解釈すること」を。それは、カーソンが我が子として育てていた甥や姪たちの未来にとっても、ないがしろに出来ないことだった。カーソンが子供たちと浜辺を散策し、子供たちの「驚異に感激する感性(センス・オブ・ワンダー)」を育もうとしている姿を思い浮かべると、私にはカーソンが、"母なる地球"の化身に思えてくる。
 その慈愛に満ちたまなざしを大地に向けたとき、カーソンは、大地が、生物が、死に絶えつつあることを感知したのだ。そして、ひとつながりに繋がっている生態系を壊す、人間の愚かさを告発したのだ。だが、「カーソンは独身なのに、一体何のために遺伝学を心配するのだ」、と非難されたという。このような考え方をする人々によって世界は支配され、コントロールされていることも、カーソンの辛い体験を通して私たちは知り、怒りを覚える。
けれども、エコロジストとしてのカーソンの子供たちは今、世界中に誕生している。環境破壊の現状は、カーソンの時代からますます進行しているように思われるが、カーソンの子供たちは、驚異に感激する感性(センス・オブ・ワンダー)を磨く努力をしながら、母から学んだ教えを守ろうと努力しているのだ。
 カーソンが社会に広めたエコロジーの原則について、個人個人がそれに積極的にかかわる日」すなわち"地球の日〃を、私のところでも毎年行っている。老若男女、何百人もの人々が手をつないで輪を作り、大地を踏みしめ、青空を仰ぎ、緑の風の中で深呼吸をするとき、私は、「ここに集っているのはあなたの子供たちよ」とカーソンに告げるのである。
 そして、かろうじて残っている山や森や、そこに棲息する生き物たちと共生する道を歩んでいこう、と誓うのである。
               1994年6月



「ええ加減にしなはれ!アメリカはん」米谷ふみ子著岩波書店06/1
 ゛民主国家゛の実態を暴く  評・鶴田静

「地球が燃えてまっせ、戦争なんかしてる場合やない」と関西弁は耳に優しいが、「世界中が直面している危機は、核兵器を持った猫の首に鈴をつけられる鼠がいないこと」と一喝する口調は厳しい。 本書は昨年末までの二年間に渡る新聞雑誌掲載エッセイの集成である。在米四六年の芥川賞作家によるアメリカ社会を鋭く洞察し分析した時評は、新聞の見出し程度にしかなかった私の常識の隙間を埋めてくれた。
 民主的であると妄想していた米国社会の実情に改めて唖然とさせられる。政教分離のはずがかくも密着しているブッシュ政権、科学を信じさせず放置される環境問題、格差と偏見の拡大、恥部を隠すメディア規制。それらを暴くドキュメントが生々しい。さすが小説家の文体で、政治言語を持たない私でも分かりやすく、息を継がずに読まされた。 
 後半で、「戦争を知っている」著者のアメリカでの反戦運動の取り組みが語られる。核の恐ろしさと戦争の愚かさをアメリカ人に知らせるべく、日本の原爆写真展を各所で開こうと奔走するのだ。グループが努力し、多くの確執を超えて大学や高校などで若者に鑑賞させている。
 平和論を書くに止どまらず、行動で示す作家は高齢で、障害者の子どもを持つ親である。本書によって、反戦平和に対する著者の熱い祈りと必死の活動を知れば、読者は奮い立たされるだろう。 
 戦場となって破壊され核兵器によって死に至らされる大地に、生き物は生きられない。命も、命をつなぐ食物も絶える。地球の生得権を勝手に握るアメリカと、その傘の下にある日本の政情に無関心でいていいわけはない。       
(日本農業新聞読書欄 2006/1)

ええ加減にしなはれ!アメリカはん」米谷ふみ子著岩波書店

゛世界の九条゛固守への思い再認識

 米国在住の著者による社会事評の、本紙掲載七編と他での発表文多数が、大幅に加筆修正されてまとめられた重い本だ。だが軽々と読めるのは、著者独特の明るい文体と漲る思い、日本人にとっても対岸の火ではない、緊迫するテーマによるものだ。
 全編を貫く主題はもちろん 「平和」である。その実現を阻むブッシュ政権を、日々の米メディアから事実を丹念に掬い取る著者の、激しい怒りからくる情熱でもって厳しく告発する。

 戦争にしろ福祉にしろ環境にしろ、権力者の都合と欲望に合わせて決定されるのだ。その「不都合な真実」(アル・ゴア)の一例はハリケーン・カトリナだ。この詳細な報告から、ブッシュの欺瞞、天災ではなく人災であることが暴かれる。日本の映像からは推測できないような、生々しい描写に圧倒された。

諸悪を生む男性社会に対して、「政治も教育も生理的に考える」という斬新な提案を著者はする。「女のすなること男もすべし」。男も子育てをすれば、「子どもを抱きながら戦争も起こせないし、軍隊も持ちたいと言わなくなるだろう」と。拍手喝采。ここから私は、以前起こった、男は文化(戦争)・女は自然(平和)か、というフェミニズム議論を思い出した。
 少子化を畏れる日本では、 「産む機械」に再生産をさせ、男も成育に携わることが奨励される。だがこの論調には、人工中絶を認めない米政府ともども、何かきな臭さを感じはしないだろうか。一方で米政府が「胚性幹細胞研究」に出資を渋ることに苛立つ著者に、その立場を思い強く共感する。
 平和論を唱えても行動しなければ平和はやって来ない、と有言実行する著者の原爆写真展活動について詳述されているが、それにはからだ全体を揺さぶられた。平和惚けの私たちは、襟を正され背中を押される。
 本書は〃世界の九条〃を固守する義務を再認識させてくれた。
       (しんぶん「赤旗」2006/3)
 

PS=これらの書評を読まれた米谷さんは、私宅にアメリカからお葉書とお電話を下さり、長いこと熱く語り合いました。お元気でのご活躍をお祈り申し上げます。



『自然に還る』福岡正信 春秋社 1984年
—食文化の再生を試みる 

世界的名著『わら一本の革命』の著者による本書の初版は1984年である。
が、言及されている事例は、今この時代に十分通底している。新刊とも言える新装版は、未読の人々のために喜ばしい。 本書の主題は、自然・神・人である。重いテーマも、問に答える形式による著者の軽妙な語り口をもって、物事の原点と
いう刃で容赦なく一刀両断される。何とも心地好いのは、著者の飄々とした人格が伝わるからだろう。
愛媛県の山小屋から出て欧米を巡る著者の幅広い見聞と交流が、我田の偏愛に陥らない民主性とグローバル性を促進している。大書ながら読んで〃愉しい〃書である。
 著者が60年間近く実践する自然農法すなわち「何もしないでよい農法」は、認識や価値などを含めて、人間の知恵でやることは無用で無駄である、と考えたことから到達したのだという。その結果が「自然を師とした科学的農法、生物学的農法」による不耕起連続直播の自然農法である。
 ここで読者は、「自然」とは何かを深く考えさせられるのだ。著者は「自然即神」と言い、自然が神を作るのだと言う。それは第五章で展開するが、文字通り在野にある著者の論理には宗教臭が感じられず、誰もが理
解に近づくことが出来るだろう。
 しかし「自然と神と人が一体」であることを分かっていない私たちは、地球規模で大地を崩壊し、食を崩壊し、文化を崩壊しているのだ。その崩壊は日本の自然と農業にまで到達した。それを著者は、自然農法によって再生させることを試みている。その自然農法を初め砂漠の緑化などに、未来を担う多くの若者が参加していることに希望が見える。
           
 (日本農業新聞読書欄2005年)

    

『スローフードな日本!』島津奈津 新潮社 2006

 朝露をまといきらきら光る青菜。土を耕し種蒔きをし、収穫するまで三、四か月。それを摘んできて、朝食の汁に浮かべる。今日の幸せは保証されているというものだ。私は二十数年間こんな生活をしている。これぞ「スローフード」。 
ところが「スローフード」とはそんな甘いものではないのだった。発祥地イタリアでなされた『宣言』では、あらゆる物事がスピードに侵された「ファストライフという全世界的狂気」に立ち向かうことであるという。そのキーワードは「関係性」である。著者は次のように説明する。「あらゆる関係性の真ん中に食がある。(中略)食を取り巻く様々な局面が、あまりにもファストなものになってしまった。つくり方も、運び方も、食べ方も、すべてが、人間の生理を超えて何か急ぎ過ぎている」
 こう理解して本のページと共に、北海道から沖縄まで、日本各地の食の生産地へ巡る「旅」のなんと新鮮で有意義で楽しいものであることか。好奇心旺盛な著者が深く広く取材し、それを我々読者と同じ目線の高さで綴る軽妙な文章には、臨場感が満ちあふれている。 
食のあり方をよりスローにして「関係性を変えよう」と努力している各地のスローフードの生産者と生産地はとても魅力的だ。自家採種をして地大根を栽培する東京・練馬、神奈川県・三浦、岩手県・岩泉町。山地酪農をする〃オーガニック酪農〃では、輸入飼料はまったく使わない。「森は海の恋人」運動。「環境マイスター制度」のある水俣市。長寿食の沖縄。
 とここで列挙してしまうにはもったいないほどの感動的な食との取り組みの数々。ぜひそれらを読者自身の舌でじっくりと味わって欲しい。著者のもつ広い視野から、環境とうまく折り合いをつけながら人間の本来の食を生み出す試みをしている人々が各地にいることが知れ、それは食の将来への危惧から希望につながる。将来とはまさに、今の子どもたちの時代だ。 けれども、「食のような人生の根幹を『他人任せ』にしておいて」いいものか、と著者は問う。親と子をつなぎ、他のあらゆる関係性をつなぎ合わせる「スローフードな食卓」を各自の場で創出することこそが、今、私たち一人一人に求められているのである。
             (日本農業新聞読書欄2007年)

雑誌『ウッディ・ライフ』1989年12月号の特集 おすすめブック


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次回に続く。

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