ようこそ 鶴田静のブログへ
✿ やっと長文の原稿の縮小がなんとか終わり、これから出版に向って動かなければ…….
10年前から書き続けた原稿を1/3に縮めるのはちょっと悲しい。タイトルにも苦労しています。フローラ(植物)の文芸書です。
このブログでは主に、以前書いた私のアーカイブ
から、現在でも適切と考える記事を掲載しています。新しいコメントも加えます。1992年に我が家で保養ホームステイした「チェルノブイリの子どもたち」のことも、このブログの最後に(つまり初めに)写真と共に掲載されています。彼らは今は子どもたちの親となり、元気に暮らしています。時々、連絡しています。
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テキスト・鶴田 静/写真・エドワード・レビンソンにはコピー・ライトがあります。
雪が降った
一年の始まりにはいつも、今年はどんな年になるのだろう、と期待と不安が入り交じる。安泰が一番だけれど、時には心に真っ赤な火がつくような、ドラマチックなことも起きて欲しいと思う。あるいは過ぎ行く時の速さを想い、また一つ歳をとるのだと愕然となることもある。夫の仕事、年老いた親、子供たちのための活動、そして自分の仕事のことなどが、唸る蜂のようにめまぐるしく頭の中を飛び交う。でも良くしたもので、暮らしと生業の騒々しさが、そんな危惧をいつのまにかどこかに忘れさせてくれる。だから成り行きに任せていられるのだろう。
「あまり深刻に考えても駄目ですね。どうにかなりますから、暮らしを楽しみましょう」と言うオプティミストの夫とペシミストの妻、この組み合わせはなかなかいいものだ、と自画自賛。物事をあまり楽観視し過ぎるのも危ないし、悲観ばかりでもつまらない。お互いに牽制し合い、その中庸をとって結婚36年。 結婚してから何回もあった転機を、夫の言うように明るく切り抜けてきたものだった。私の流産、夫の転職、そして転居。転々と転がる石のように……Like a rolling stone(ディラン)ではなく、けっこう真剣に考えて。
中でももっとも決心の要ったのが転居である。東京に生まれ育ち、東京でキャリアを積んできた私。働き盛りの三〇代と四〇代が、突然地方の農村に引っ越すと言うのだから、これが事件でなくてなんであろう。東京の回りの人たちは皆、仕事は大丈夫? と心配してくれた。私たちにもどうなるのか分からなかったが、夫は「ご心配なく」と涼しい顔。そして今やその通りになった。
新しい土地での私たちの強い味方は、大いなる自然である。心細いとき、寂しいとき、我家を360度に取り巻いている自然と向かい合うと、不安や孤独感を忘れることができるのだ。冬の澄み切った空気で磨かれたような青空は、閉じそうになる気分を晴れ晴れと輝やかせてくれる。
森や林から聞こえてくる葉のざわめきと、小鳥たちの歌う子守歌に、私たちはいつかまどろむ。山々や大地、太陽を吸い込んだ温かい海は、にっこりと微笑んでいるよう。母親の懐のぬくもりがよみがえる。
都会育ちの私たちの、ぎこちない暮らしぶりをお手伝いしてくれるのも、余りあるたくさんの自然。夫が耕す小さな菜園に、野菜が勢い良く育ち、野原には食べられる草が次々と生え、木にはたわわに実がつく。私たちはそれを食べて命の糧とし、生きている。
でもやはり、人様の力添えもどんなに有り難いことか。近しい人人々の実際的な助力や遠くからの声援。それに負けないくらい、夫と私も助け合わなければ、この田舎では暮らせない。
東京では、別々のことをしていた二人だが、ここではどちらからともなく力を貸し合うのが当たり前になった。仕事も共同作業。これも自然のお陰。その自然と共に行く今年を、平和で良い年にしよう。と、思うが、コロナのパンデミックでは思ったようなことが出来ない。だから自分だけに出来ることをしている。
冬の贈物の中で、私が届くのを心待ちにしているものがある。それは雪。
今日1月6日、ついにこの暖かさで知れる房総半島にも雪が降った。すると私の今日は特別なものになる。家の外や景色や、そして私の雑念などの現実の醜さを隠してくれるからだ。
天から舞ってくる雪を飽かさず眺めていると、私のつまらない感情は無になる。そして庭の向こうにある谷間へ吸い込まれていく雪と共に、私自身も、無限の彼方へ旅をし、心の浄化を体験する。
足跡のついていない処女雪の上を歩くのもまた、幻想的だ。この世で初めて、二本の足でそこを踏み付けるのはこの私だから、なんとなく震えがきてしまう。でも、レイモンド・ブリックの『スノーマン』のように、雪だるまと一緒に空を飛べたらなあ、とも思う。
雪を食べるなんてロマンチックだが、悲しみの中で食べる人もいる。宮沢賢治は亡くなった妹に、氷結の朝、雪を与えた、と詩に書く。ある現代女性作家は、「雪をグラスに入れて、ジャムをのっけて食べるのよ」、と楽しげに言う。
風が流す雪と共に、時々我が家に、とても可愛い小さなお客が訪れる。ある時は小鳥、ある時は野兎。雪の下に埋められた餌を得られずに、我が家に食事への招待を求めてくるのだ。小鳥には御飯粒やパン屑を、野兎には、キャベツや人参の切れ端を、庭のピクニック・テーブルの上に置いてやる。
慎ましい彼等は、すぐには食卓につかない。私がテーブルを調えるのを、はるか向こうでじっと待ち、私が家の中に入ると遠慮がちにテーブルに近寄り、そして、誰か他のお客が同じご馳走を待っていないかどう探り、もしいるとしたら、まず彼等に先をゆずり、そうして初めて、おちょぼの口元にほんのわずかの食事を運ぶのである。
おなかが空くから食べる、からだを暖めるために食べる、子供のために食べる、と動物たちの食べ方はとても本能的だけれど、それだけに、目的が果たされればそれ以上の量は食べない。利己的でも飽食でもない。
「外に出てきてごらん、野兎が……!」
悲鳴にも似た夫の呼び声。駆け付けてみるとどうだろう、わが愛犬が、野兎を無我夢中で貪っているのである。ハンターが山に入って撃ち、猟犬が見つけ損ねた獲物を、放し飼いの犬がありついたのだ。
私は犬を叱る気にはなれなかった。それが動物たちの自給のあり方であり、自分の命を他のものに食物として与えるという、食物連鎖の宿命であるからだ。彼等は、分け合って食べるための丸いテーブルを持っている。
それにひきかえ、人間はどうだろう。世界各地で戦争や自然破壊をし、罪もない子供やお年寄りを飢えさせている。その引き金を引いた者が、食物や利益を貪っているのだ。そして今日、この雪の寒さに震え、食事もできず、温かな寝床もない若者を含む多数の人々が、コロナ禍のために苦しんでいるのだ。そんな報道を観ると、なんとかして上げたい、と思うのだが、それ以上に、そんな人々を助けない政治に怒りが爆発する。
ああ、真っ白な牡丹雪が吹雪く。雪よ、この真っ黑と化した世界を、真っ白な清潔さで、清浄にして欲しいのです。
静かなるエッセイ 「冬から春への花」
「福寿草」写真・エドワード・レビンソン
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追悼 ジョン・レノン
1980年12月8日、ジョン・レノンはグリーンパークの外側にあるマンション、ダコタの入口で、銃弾によって命を失われた。けれどもジョンは今も私たちと共に生きている。平和を愛し,守るために生きたジョンと共に、私たちも努力をしよう。
ブラザー・サン、シスター・ムーン
静かなるエッセイ「ブラザー・サンシン・スタームーン」 十二月
苦しい時の神頼みしかしないご都合主義の無信心な私なのに、クリスマスが来る十二月に入ると落ち着かなくなる。世界の各地にいる家族、友人、知人にカードやプレゼントの発送をする。クリスマスを祝わない人(無宗教)には、「シーズンズ・グリーティングス」。我が家には、形だけ真似て、室内に樅の木やろうそくのデコレーションもする。
実は私の父が家の庭に建てた集会所を「石神井文化会」として、様々な講座を講師を招いて行っていた。その中に「日曜学校」があり、アメリカ人の家族によるキリスト教新教の教えが、通訳によってなされた。きれいな絵の聖書の一節を書いたカードが配られ、それで未だに「主の祷り」は暗記している。クリスマスには、キャンディーやチョコが詰まった、見たことも無い奇麗な靴下が配られて、私たち子どもは大喜び。
そんな過去の雰囲気が懐かしく心に染みついていて、イブになると今でも、友人の家庭でのパーティーばかりでなく、教会のミサに参加する。日本であれ外国であれ、そのときにいる町のどの教会でもいい。一歩教会の中に入ると野次馬精神が消え、厳粛な気分になるのが非日常的で、だらりとした私には、ぴりっとしたよい薬となる。
今までで比較的印象に残るのは、六本木の聖フランチェスコ会のミサ。気紛れの私には珍しく、続けて何年か参加した。二〇十九年のミサにも参加した。その都心にある教会での特徴は、キリストの生誕の場面が人形で展示されていること。楽しく微笑ましく、厳粛さよりもいかにもお祝いに立ち会っているという感じがいい。
その装置は、その派の創始者、聖フランチェスコの案だという。詩や音楽が好きだった、師らしい〃演出〃である。実は私は、以前からフランチェスコに興味を持っていた。それで彼の生きた町、イタリアのアシジを二回訪れたこともある。
というのは、彼は、太陽や月や星から風や水や大地にいたるまで、この世の中のすべての存在を平等に見、兄弟、姉妹と呼んで慈しんだからである。そして動物や鳥にもお説教をしたのだという。なんと無邪気な、優しい、ユーモラスな人なんだろう、と思ったのだ。
そんなフランチェスコの生涯は映画に成り、彼の作った詩「ブラザー・サン、シスター・ムーン」は映画の主題歌として、歌手ドノバンにより作曲され歌われ、大ヒットした。私も何回映画を観、歌を歌ったことだろう。当時訪れたアッシジも、数々の寺院と広々とした畑や木々が緑の光りを放っていた。
考えてみれば、このような人こそ、この二十世紀の荒廃した地球に必要な人材なのである。でもそんな考えを他人に委ねずに、せめてその精神だけでも学ぼうと、伝記などを読んだのだった。聖フランチェスコは、一九七九年「環境保護に携わる人々の保護の聖人」とされた。
クリスマスを見送ると、今度は近所のお寺からお招きがある。もちろん除夜の鐘撞だ。しっかりと防寒具に身を固めて行くと、大きな焚き火が赤々と燃え、少しも寒くない。長い竹棒の先に刺したつきたてのお餅が、焚き火の火で香ばしく焼かれている。甘酒と一緒にふるまわれ、鐘撞きの列に並ぶ。闇の中に、久し振りで故郷に戻った人々の笑顔が溢れる。「おめでとう!」と口々に。ここもまた、厳粛さというよりは、一年を再び同じ所で送り、迎えられたお祝いという喜びの場である。それは誰か特別な人のためでなく、生きとし生けるもののためである。
こうなると、初詣でにも行かざるを得ない。今年はどこの神社に行こうかしら。まったく私は典型的な日本人だなあ。 信仰も持たないのに、儀式をその場その場で都合良く、軽くやってしまうなんて。
けれども誓って言えるのは、自分のことはもとよりだが、世の中の幸せと平和を強く願っているということ。いつも自分が恵まれたことに感謝し、他人(動物も含む)にも分かち合おうと思っていること。願ったり、祈るだけは簡単……。ならばよけいに思いを込めよう。
こう決心した年末が開けると、二〇二一年は「コロナ時代」と成ってしまった。地球とそこに生きる生物の運命はどうなるのだろう・・・・・・・
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静かなるエッセイ「本の捜査探偵」
静かなるエッセイ 「本の捜査探偵」
読書にふさわしい季節になると、私の視線はいつも本棚にいく。下から二段目の右端にあった本。私が子供の時、父の本棚の同じ位置にあったそれは、『エミリアンの旅』と『子を貸し屋』。題名と内容だけが心に残った。
著者を知りたいと思ったのは、〃本の探偵〃を仕事にしている人が現れたからだ。そうか、探偵に頼むと、本について知りたいことを調べてくれるのか。早速依頼すれば良かったのだがそのままになっていたある時、たまたま行った図書館でその本を見つけたのである。復刻版のその童話の作者は、宇野浩二だった。
思いでの中ばかりでなく気になる本はどんどんたまっていく。本屋さんに走り、図書館を巡っているうちに、そこでまたまた気がかりな本に出会う。すると追求するべき本が増える。探偵に頼んでも追いつきそうにもない。そこで自分が探偵になって、私はいろいろな図書館を捜査に訪れた。
捜査までしなくては手に入らないのは、本が古いか外国の本の場合である。本は言葉で出来ているから、書かれている言葉を読めなくてはならない。私は英語とフランス語なら分かるから、捜査線上には、英国か米国の図書館が浮かぶ。
日本でも外国でも、古い図書館を訪れるのは、胸躍る興奮と緊張感を感じる。貴重な本がたくさんある驚きと、ここで勉強した先人たち=かの著名な作家たちのことを忍ぶからだ。同じ場所に私もいる、けれど……、だから……と、気持ちばかりが一杯になって、肝心の捜査になかなか手が出ない。探偵もつい理性を失う。
そのようなもどかしさを感じたのは、ロンドンの大英博物館の中の図書館にいたときだった。丸いドームの天井の下の、金縁に皮表紙の厚い古書に取り囲まれた閲覧室で、私は茫然自失してしまったのだ。ここにいるという感動とその重厚さに圧倒されてしまって。さて気を取り直して捜査に入ると、なんと百発百中。というのも、司書と呼ばれる協力者のお陰であった。
実は〃本の探偵〃とは、図書館で言えばレファレンスの係りの人である。適格な指示の元に捜査、いや探索していくと、必ずおたずねものを射止めることができるのである。大英図書館でも、ずいぶん大勢の方々にお世話になった。見つかると私の手をにぎりしめ、よかった、よかった。こんな司書の方は初めてだったが、よく見るとあちらこちらで、司書と閲覧者がこんな喜びを表現しているではないか。司書の方の仕事への情熱から、文化の深さのようなものを感じたしだいである。
実は若き日、私も大学書館で働いたことがあった。けれども苦手な工学部だったせいか、本自体があまり好きになれなかったのは残念至極。今、利用者になってみて、こうして世界中の図書館のお世話になっている。どんなに有り難いことか、重々身に染みている。
気になる本がたくさんあることもまた幸せなことなのである。本の探偵が続く限り、「孤独から救われる」ーーC・S・ルイス
静かなるエッセイ 「夕顔の開く刻」
静かなるエッセイ 「夕顔の開く刻」
あの真っ白く大きな「夕顔」が花を持ち始めていた。よじれてとんがった蕾がヌッと出ていたのを、何日か前、裏口の小さな花壇に見付け、さあ、開花の瞬間を見るぞ、と決心していた。
ウリ科の夕顔の開花を見ることの使命感は、白洲正子の随筆「夕顔」を読んだからだ。白洲は花が全開するのを忍耐強く待った。
朗読の会で私はこの「夕顔」の文章を朗読したので、その練習を何十回したことか。ほぼ暗記したくらいなのに、すぐに忘れてしまうのだ。私は2度も機会を逃してしまった。が、3度目のチャンスを花がくれたのか、もう一つの蕾を見付けた。昼間見たら、夕顔の一本の茎(直径1センチもある)に、最後の蕾が一つある。今度こそ、開花の有様を見逃さないようにしよう。と、手ぐすねを引いて待っていなければならない。
空が暮れなずむまで絵の彩色に夢中になっていて、はっと夕顔のことを思い出した。外は薄く明るい。5時40分。急いで裏口に駈けてゆき、ドアを開くと、ああ、そこに夕顔の白い顔が艶然と微笑んでいるではないか! しまった、また遅れをとった! あのよじれた蕾がゆっくりと逆に回転して、緩やかにその衣を解く様を見たかったのに……。
5センチくらいの長さだった茎は、花底まで9センチにも伸びていた。がっしりした茎に、花茎13センチの花の葩(ひら)が湛然としている。それは夜の闇の中で月のようだ。五片の花びらが一つに繋がったその浅い露斗形は、平たくした朝鮮朝顔の花と似ている。蕊は花の寸法に対しては小さく、おまけのようにちょこんと付いている。
こうなったら、昼間に見た萎んだ姿になるまで見張っていよう。と、何度も見に行った。が、翌朝の5時、7時になっても夕顔は依然として同じ花のままだ。
そうこうするうちに、淡い朝日が霧のようにたちこめ始めた。すると上側の花びらが自らを内側にくるみ始め、徐々に、少しずつ、下方の花びらも包みこんでいる。花の裏側の線が、若草色に色づいて表に浮き出ている。微光を受けて、花はその色を陽の色に染めている。
10時をすぎる頃になると、花は半分までたたみ込まれた。そしてやがて5センチほどの直径の握り拳と化した。
この花が大きな種と成り、それを土に埋めて、来年こそ、蕾から花開くまでを見守り続け、夕顔の花を拝顔する日まで、私の心の中にずっと幻想の花ガ咲き続けているだろう。だが同時に、心の中には「怠慢・失敗」という根も張り続けているにちがいない。
静かなるエッセイ 私の宝石 その価値は
静かなるエッセイ 私の宝石 その価値は
私の小さい時からありすぎた趣味の中でも、今でも好きなのはアンティークを見ること。もちろん、買えればそれに越したことはないが。
絶頂期だったのは、ロンドンに住んでいた頃だ。私は、ほとんど毎日、どこかのアンティーク市場をうろついていた。近所に住んでいたポートベロー、ケンジントン・マーケット、カムデン・タウン・マーケット、エンジェル・アンティーク・マーケット、チェルシー・アンティーク・フェア、キングス・ロード・エッセンス、など。それにクリスティーやサザビーなどの競りにも行って見ていたこともある。
と言うのには、日本の友人から買い付けを頼まれたことも一因している。ある人はアンティーク・ドール。ある人は、アクセサリー。私は専門書を買って勉強もした。それは、今に遺された品物から歴史を勉強することで、とてもおもしろかった。その頃ロンドンで知り合った日本人の業者の何人かは、今や日本で著名なお店を持っている(現在は不明)。
友人の買い物は結構高価な品だったが、私自身の買い物は安物ばかり。アクセサリーやバッグや布などである。今はそれらを身に着けるのは、よほどの儀式的会合の場合だけだが、私にとっては二度と無い、時と場所の遺品として貴重な宝石なのだ。
金や燻銀の台に七色のガラス球が施されたブローチは、アールヌーボー風。実際に服につけるのはシンプルな服しかない時、あとは手のひらに載せて見るだけ。親しい方に戴いたアメジストの短いネックレスは、遠く離れたその方と、共にありたいときに付けてみる。
ハンドバッグは、ベルべットの地に金銀の糸で刺繍をしてあるもの。レース地にガラス球が織り込まれたのや、30年代のアールデコ風のや、そんなバッグもまた、観賞用だけにはしない。あるパーティーでは、着物を着て持った。
もっとも、ロンドンに住んでいた頃は、そんな物でもちゃんと身に着けていられたのだから、環境というものは人を、独創的にも没個性的にもしてしまうのだ。引き出しの中から、時々取り出して眺めていると、自由を謳歌していられた時代と場所が蘇ってきて、胸がじんとなる。アンティークの役目だろう。
でも今、ロンドンとは違う環境の中にいて、この環境にふさわしい宝石を探している。今私が住む日本の、昔からの農村で求める宝石。遺跡発掘? いやいやそんな大それたものではない。野や森の中で見つける、大地という歴史が持つアンティークである。
紫水晶はムラサキシキブの実。長い一本の枝にたわむように群れついている姿は、三連か四連のネックレスになりそうである。ルビーはガマズミの実。燃えるような透明な石が、丸く集まってついているブローチ。珊瑚はマユミの実。珊瑚色の真ん中に真っ赤な点があるので、ボタンにすればお洒落。瑠璃はサワフタギの実。四つか五つ繋がっているのを二本で、イヤリングになる。
こうして自然の中を探せば、イマジネーションの宝石は無尽蔵。ただしこの宝石は、秋にならないと着けられないのだ。そして毎年新しくなるから新品である。
アンティークの宝石と言わずとも、誰もが心の中に、思い出をしまってある。その思い出を、アンティークとして遺せるかどうかは、価値観による。私は、光るものもくすんでいるものも、美しい宝石として大切にしている。
そして最も大切な一番のアンティークの宝石は、家族はもちろん、私の人生で出合った多数の友人知人お世話になった人々、会ったことがなくても、私に人生上の教えを与えて下さった未知の人々や書籍や音楽である。
キクイモ
キクイモの話。賢治とともに。(私のツィッターはこの後にあります)
「菊芋の効用 宮沢賢治の話」 鶴田 静著
「このキクイモには、イヌリンていう成分があって、糖尿病に利くんですって。」
農家のぉばさんにこう進められて根茎の入つた袋を1ついただいた。からだは健康この上なかつたから、からだのために食ベ るというつもりではなかつたその花が好きだつたのだ。
それはキク科のキクイモで菊芋である。黄色い花の形はコスモスやヒマワリと同じだ。農道を彩る黄色のコスモス型の花に魅せられて、五、六個を埋めておいたら、何と年々増え、今ではわが丘の丘陵を縁どるほどになつた。がっちりとした逞しい花を寄せ集めて大壺に投げ入れると、そこは、太陽が降りてきたように朋る<なる。
キクイモは、朋治時代に家畜の飼料として原産国の北米から移入された。生姜の形のような根は根茎以外は柔らかく、煮たりみそ漬けにしたりして食ベる。
私は田舎に住んで初めて、このキクイモと出合ったのだが、農村では昔から、野菜の一種として食ベられていたのだ。
私は食ベ 物よりも花に閲心があるのだが、多年草のこの植物は 恐ろしい<らいに増え続ける。二、三メートルの高さにもなり、太い茎や葉には、ざらざらとした突起がある。ついに悲鳴を上げて減らそうと思い、花の終ゎつた十月に根を掘り出した。ふと思い出して煮て食ベてみた。確かにお芋の昧はするけれど美昧しいとは言えない。次にみそ汁に入れてみた。周りの皮はジャガイモのようだが、中身は大根のようだ。賢治の母上のように、もっと料理を勉強しなければ。
アメリカの作家・ナチュラリストのダイアン・アッカーマンも、キクイモを植え替えようとして根をかじってみたという。昧はぱりぱりした石鹸のようだったというから、おいしくはなかったのだ。サラダにする人もいるらしいが、彼女はやはり、食ベることには興昧ないという。 彼女は花については何も述ベていない。
そういえば、キクイモのみそづけが好物だったという人がいた。宮沢賢治だ。
賢治は荒れた畑でキクイモを作り、三〇キロものキクイモを背負つて歩いたという。彼は詩にこう書いている。
「そもそも拙者ほんものの清教徒ならば」
(前八行略)
この荒れ畑の切り返しから
今日突然に湧き出した
三十キロでも利かないような
うすい黄色のこの菊芋
あしたもきっとこれだけとれ、
更に三四の日を保する
このエルサレムアーティチョーク
イヌリンを含み果糖を含み
小亜細亜では生でたべ
ラテン種属は煮て食べる (以下略)
詩を書き、童話を書き、農芸化学の教師であり農業に励んでいた賢治は、新しい物好きのモダンボーイだった。朋治初期に渡来したこの植物について、その成分さえも一九二〇年代にはすでに知っていたのだ。エルサレムアーテイチヨークは、キクイモの英語名である。ここにも賢治の舶来通があらわれている。
キクイモに関しては、私は団子より花だなぁ。キクイモはコスモスの花と同じ季節に、私の庭で競い合うが、どちらも繁殖カが強く、決してその場を譲らない。
私はどちらかといえば、増えて欲しいのはコスモスの花だ。実際にはコスモスも強い槙物なのだが、ゆらゆらと秋風に揺れる姿は繊細で弱々しく見える。つい情を誘われるのだ。 キクイモの花は、なんときっぱりとその力強さを顕していることだろう。
2021.10.10 旧編を再稿
ツィッター 2021.10.8
庭つくりで最初に植えたのが菊芋(キクイモ)の球根。花がとてもきれい。菊芋は宮沢賢治も畑で作り、母親の料理する精進料理のキクイモの味噌漬けを好んだ。
(拙著『宮沢賢治の菜食思想』料理の写真) キクイモはイヌりンという水溶性食物繊維が含まれているという。そのせいかイノシシが球根をよく食べる。
静かなる連載「バカンスの夢」2021年9月
2021年より再開の頁です
以前から書いていたプログを、執筆のために休止していましたが、長いことかかった原稿がなんとか終わるので、こちらにこれまでに書いた
短文のエッセイを集約することにしました。テーマは、私自身の色々な体験と暮らし方が主ですが、時々お読み下されば嬉しいです。
✿ やっと長文の原稿の縮小がなんとか終わり、これから出版に向って動かなければ…….10年前から書き続けた原稿を1/3に縮めるのはちょっと悲しい。タイトルにも苦労しています。フローラ(植物)の文芸書です。日本の古典書から外国語書籍まで色々な本を読みました。
現在、若い新人が多くの斬新なテーマの小説を書いていることに感心します。
● この次は以前に、「マジックバス」でロンドンからギリシャ経由、インドまでの旅の楽しい話を予定。
静かなるエッセイ 「バカンスの夢」2021年9月
毎日が日曜日でも月曜日でもいい暮らしをしている私だが、咋年からのコロナ禍での自宅巣ごもり状態は苦しい。これまでは世間が休日ともなれば、滞在型のお客が多くなることも事実だし、私自身、雰囲気だけでも夏休みを楽しみたいではないか。しかし、お客がやって来ることと、海に近い田園に住んでいるので遠くに出かける必要のないのは、幸なのか不幸なのかどちらだろう?
そんなわけで私と夫の夏休みは、お客と一緒に夏休みするか、思い出や本によって遠くへ旅するのである。だが旅を憧れる心には、今年はふるさとの東京へさえ行かず、予定していた南仏プロブァンスへ行かれないことが悔しい。
プロブァンスと言えば、90年代に人気となった本の作者、イギリス人の作家ピーター・メイル氏と雑誌で対談した思い出が蘇る。それは春だった。
ある雑誌の仕事でメイル夫妻と東京でお会いしたが、その時、私はご夫妻に小さなプレゼントをした。どちらかというとミセス・メイル、すなわちジェニファーさんを心に入れて。
それは高さ十センチほどの小さな花束。朝六時、朝露をつけたままの春の野の花々を、私は野原や土手で摘んだ。それを小瓶に入れ、和紙で包み、リボンを掛けた。ホテルに着くと、カードと共にお部屋に届けたのである。
翌朝ご夫妻にお目にかかったとき、なぜか初対面ではないような雰囲気だった。ジェニファーさんは私を寝室まで引っ張っていき、「ねえ、見て、あそこに置いた
のよ」とサイドテーブルの上のあの小さな花束を示された。「きっとプロブァンスを思い出してくださると思って……」と私。
「ええ、その通り。芳わしい香りに、妻はとても喜んでいますよ」とメイル氏。
白い房咲き水仙を一本混ぜたら、菫や仏の座や姫踊り子草や、蔓十二単やブロ
ッコリーの〃プティット〃な花々に、密のような甘さが加わったブーケになったのである。
数日後、関西から戻ったジェニファーさんから手紙が届いた。彼女の、いかにもイギリス人らしい流麗なペン使いの手書きである。「ことのほかあの花束は嬉しかったです。押し花にしました。そして私の今回の旅の思い出帳に挟みました」とあった。
実は私は、こんな小さな花束を差し上げるなんて……と躊躇したのである。しかし夫は、「きっと喜んでくださるよ」、と贈る勇気を鼓舞してくれた。案の
定、お部屋はおびただしい数の大きな花束で溢れかえっていたのだった。それにもかかわらず、こんな小さな野の花にも喜び、敬意を表し、大切にしてくださったのである。一瞬にして散る花の命を、永遠にとどめて。私の胸に、熱いものが込み上げた。
私は贈物が下手である。あれこれ相手のことを想像し過ぎ、結局は自己満足で終わってしまうのが常であり、送ってしまってから、後悔することがしばしば。けれど今回だけは、こちらの思いの通じるよい受け手に出会え、贈り手としての私は幸せであった。
今頃あの花々は、私の代わりにプロヴァンスで素敵なバカンスを楽しんでいるのだろう。
ああ、それにしても、世界からコロナが消え去り、どんな人々とでも自由に幸せを分かちあえる日が、一日、一時間、一秒でも早く来ますように。
静かなる連載 「心の喫茶店」 21年10月7日
な時期の私の背景にはいつも、溜まり場としていた喫茶店があった。今思うと、私の人生の土台を築く一つの材料となったのが、喫茶店だったと言うとおおげさかな。若い頃に行っていた喫茶店のマスターの車椅子姿を遠くに見た時、そんな風に思った。
高校生の時、生まれて始めて入ったのは、北原白秋の詩集のタイトルと同じ名前の店「邪宗門」。小さい店内は、アンティークが所狭しと並び、青やピンクや黄色のランプシェードの幻想的な光で包まれている。その頃、こんなお店はどの町でも珍しかった。
そこへ行ったのは、現在のようなファーストフード店はおろか、他に喫茶店などなかったし、また学校から近かったからだ。
指定されて初めて入った喫茶店での本来の用事は、上級生の男子から、私の送ったラブレターに対する返事を貰うためだった。答えは「迷惑だからやめてほしい」。けれども私は、この夢か幻のような喫茶店を知り、通うようになったことの方を喜んだから、うちひしがれることもなく、挫けずに済んだ。
後になって私がアンティック好きになり、また素人の喫茶店経営が流行ってきて私もそうしたいと願ったことは、不思議の国をかいま見た16歳のこの時に、端を発しているのだと思う。
その後大人になって、東京近郊の私のテリトリーだった二つの旧い喫茶店は、Hという同じ頭文字だった。
ついに私に、お客のために珈琲をたてる機会がきた。ある時、久しぶりにいつものジャズ喫茶店へ行ったらその店は壊され、大工さんではない普通の人たちが大工仕事をしているのである。「いったい、何をしているんですか?」
「自分たちの喫茶店を作っているんだ。あなたも仲間に入りませんか?」
気がつくと私は、すぐさまシャベルを握り、セメントをこねているのだった。毛皮のコートを着、九センチのヒールのブーツのままで。大学教授や評論家、歌手などといった人たちが参加し、やがて「ほんやら洞」と言う名の喫茶店が出来た。1年間そこにいた私は、とても大きなものを得たのである。
一生の生き方をどうするかと悩んでいた二十代、その頃出会った喫茶店は、自分たちの生き方を今までとは違うものにしようとする、いわゆる〃対抗文化〃を支持する人々の共同経営の店だった。ここに集まる人たちの自由さと闊達さに羨望はしたけれど、その中に飛び込んでいく勇気は出なかった。後にああ、やはり私はこの時から、彼らの思想や行動力の真価に気づいていて、真似ていたのだと知るが。
遠い国から運ばれて来る珈琲の豆。その豆をひき、一杯の珈琲を入れて飲む。それも家庭でなく喫茶店という独特の空間で。漂ってくるアロマは確かに珈琲豆のものなのだけれど、それはもはや豆自体のではなく、喫茶店のアロマでもある。その風味の中に、酸味や苦み、甘みが感じられるが、それはまた人生のアロマともなる。若き日の私の風味を作ってくれた喫茶店のマスターや仲間たち、彼らの年輪は、自分のそれでもあることを、今、毎日飲む私の心の喫茶店の一杯の珈琲が教えてくれる。
東日本大震災及びコロナ禍での全ての犠牲者のご冥福と、ご遺族、被害者の皆様にお見舞いを申し上げます。
今日満開になった庭の白木蓮のお花を捧げます。
撮影:2021年3月11日
2021年2月のお知らせ!
新しい冊子を作りました。
New Booklet published by Solo Hill Books
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1980年12月8日、ジョン・レノンはグリーンパークの外側にあるマンション、ダコタの入口で、銃弾によって命を失われた。けれどもジョンは今も私たちと共に生きている。平和を愛し,守るために生きたジョンと共に、私たちも努力をしよう。
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spectator誌の「ホール・アース・カタログ」
当時、このカタログと何らかの関わりのあった人々がそれぞれの観点から語り、書いています。鶴田も参加しています。
SPECTATOR 952円+税 発行:有限会社エディトリアル・デパートメント 発売:株式会社幻灯社 http://www.spectatorweb.com
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犬の本
2018年 冬から春へ
仕事にのめりこんでいて、更新を怠りましたこと、お詫びします。
2018年を迎えて、心新たに励みましょう。
今年は戌(いぬ)年ですね。われらの愛犬たちがご挨拶です。
トビー ヨークシャテリア 男子
サニー 柴犬ミックス 女子
私たちの著作に、かれらをモデルにした本が2冊あります。
★サニーの『犬がくれた幸福』(岩波書店)はお兄さんのハッピーと私たちの生活記録、ノンフィクションです。
2006年の犬年に出版されたので、2回目の犬年です。
読者さんからの感想を戴きました。ご覧ください。
犬と一緒にスローライフ
『子供を持つことができなかった著者夫妻のところにやってきた2匹の子犬。ハッピーとサニーは彼らにとっては子供同然。自然に恵まれた千葉の田舎で、犬たちは野山を駆け回り、鳥やウサギを追いかける。犬の本能を保ちつつ、家に帰ればオトウサン、オカアサンにべったりだ。
人間のほうも花や風を愛で、野菜を育てながらあるがままに生きるスローライフ。人も犬も自然と一体となり、まさに自然の一部のようだ。まさに「生かされている」ことが実感できるような美しい文章。
子供は持てなかったけれど、犬を通して親の気持ちを味わい、夫婦の絆も一層深まっていく。犬の最後を看取ったまなざしも深い愛に包まれている。犬という名の自然から、たくさん学ぶことがあることがわかります。』ありがとうございました。
★トビーは『サクラと小さな丘の生きものがたり』(ぷねうま舎2016年)の主人公のモデルです。
本書は、ある夫婦がたくさんの動物・植物と交流する物語で、テーマは死と再生。3・11の出来事と繋がっているファンタジーです。短篇連作で、童話としても読めます。
この2冊は、著者サイン入りをソローヒルブックスコンタクトフォルムからお求めいただけます。どちらも税込・送料無料で1800円(『犬がくれた幸福』●冊数限定) 購入お申し込みはこちらへ。
それぞれのレビューはこちらへ。
「三省祭り」トーク
2013年10月27日(日) 14:00-17:00 東京・神田の「自由大学」にて
ソローヒルの庭で23-24週 8月
ソローヒルの庭新連載18-22
7月の
ソローヒルの庭で 第18週 2013/7/1から 七夕
小暑の日 草々の茶を淹れる
今年の梅雨明けは、全国的に早かった。星祭りの夜は、ここ数年天気はよくなく、二星の一年に一度の逢瀬が果たせるか、と心配していた。が今年は、晴れ晴れとした宵闇に星がきれいに沢山出ていた。
ソローヒルの庭新連載14-17
6月の
ソローヒルの庭で 第14週 2013/6-3から 芒種
森の騒立ち 大豆の種蒔き
6月は長雨の季節だが、6月の異称が水無月(みなづき)とは? 調べると「無」は無いではなく、助詞の「の」で「水の月」のこと、6月は田に水を入れる月だからという。霖雨の前触れか、百鳥の鳴き声で森が騒立(さわだ)っている。ホトトギスは確かに、トッキョキョカキョクと聞こえるので思わず笑った。
ソローヒルの庭新連載13
第13週 2013/5/20から
燕の飛翔 花立つタチアオイ
千紫万紅、いよいよ梅雨の時節の花見時である。数株のアジサイが日に日に色づいてきた。亡母が植えていたアジサイは、他よりも一足早く、白藍(しらあい)から青紫の色鮮やかな笑顔を作っている。ギボウシの長い花茎の先端で花が揺れ、濃淡の紅色のシモツケが粉を吹いて咲き零れる。黄色のヒペリカムも開花した。
新刊『宮沢賢治の菜食思想』ご案内
発売中!
『宮沢賢治の菜食思想』(晶文社) 2310円(税込み)304頁
本書は1999年刊『ベジタリアン宮沢賢治』をもとに、改筆・増補のうえ刊行されました。この新装版には 賢治の描いた「教材絵図」の全図49点がカラーで掲載されています。また賢治にまつわる料理が、鶴田のレシピで14点併載されています。
新刊『宮沢賢治の菜食思想』ご案内
6/10発売になります。
『宮沢賢治の菜食思想』(晶文社) 2310円(税込み)304頁
本書は1999年刊『ベジタリアン宮沢賢治』をもとに、改筆・増補のうえ刊行されました。この新装版には 賢治の描いた「教材絵図」の全図49点がカラーで掲載されています。また賢治にまつわる料理が、鶴田のレシピで14点併載されています。
ソローヒルの庭新連載 5
「ソローヒルの庭 12ヶ月52週」
第5週 2013/4/1から
桜花—穀物の精霊
3月の異常な暖かさで、庭の4本のソメイヨシノが2週間も速く花盛りとなった。前年には、私は日本の伝統色で「灰桜」と呼ばれる色の和服を着て、桜の木の下で記念写真を撮ったっけ。
うっすらと紅がかった白い花は、日光の反射で透き通っている。まさに春の宝石だ。満月が少し欠けただけの月の光は、夜の花を雪に見せる。しかし壊れやすい宝石や溶けていく雪のように、桜花の命は短い。数日間、その輝きを保っているがやがて、零れ桜となりそれから、深紅の桜蕊をあたり一面に降り敷く。花びらは微かな風にも吹雪いて、その潔さを見せつける。「あなたもこんな生き方をしてみなさい」と。 続きはこちらへ
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ソローヒルの庭新連載 3
の連載エッセイ「ソローヒルの庭から」を大幅に加筆改稿して1年間52回
週刊連載します。自然を愛する人々、田舎に住みたい方々に読んでいただければ幸いです。
文・鶴田静 / 写真・エドワード・レビンソン 禁転載
「ソローヒルの庭 12ヶ月52週」
第3週 春陽 春分 2013/3/18から
水色の空に、いくつもの白い花が、群れる鳥のように枝に止まって浮かんでいる。ああ、ついに咲いた! 1年間待ち望んでいたハクモクレンが、花開いたのだ。9枚の純白の花被が重なり合った大きな花が、その数200余りで葉の無い木の満身を飾っている。なんという壮観さだろう。私は毎日、朝な夕な、白い花が太陽で黄金色に、夕焼けで茜色に、月光で銀色に染め変えられるのを見届けなければ気が済まない。
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ソローヒルの庭新連載1
以前執筆した朝日ビジュアルシリーズ「野菜づくり花づくり」
の連載エッセイ「ソローヒルの庭から」を大幅に加筆改稿して1年間52回
週刊連載します。自然を愛する人々、田舎に住みたい方々に読んでいただければ幸いです。
文・鶴田静 / 写真・エドワード・レビンソン 禁転載
「ソローヒルの庭 12ヶ月52週」
第1週 啓蟄 2013/3/4から
丘に建つ家の東側の谷に沿うのは、菜の花畑、蜜柑山だ。そこに集まる蜂や鳥の羽音が、東風に運ばれて耳に届く。この雄大な里山風景から庭に目を移すと、今年の寒さで咲き遅れた日本水仙やヒヤシンス、クリスマス・ローズがおずおずと花を開いていていとおしい。猫の尻尾のようなネコヤナギの花穂は、薄紫から白へと変わり、白と紅色のジンチョウゲが咲きめて、春の喜びと香りを人の心いっぱいに満たしてくれる。
ソローヒルガーデン
の方でご覧になれます。
タチアオイ2012年/6月
Solo Hill Garden Hollyhock
梅雨の頃の庭には、タチアオイが満開になります。
群生を作り始めてから数年になりました。最初は1カ所でしたが、今は庭の5カ所と階段やボーダーに種をまいておいて、
あちこちに咲かせています。6月19日は台風が来て、だいぶ倒れてしまいしましたが、幸い、梅雨の晴れ間にビデオで撮影しておきました。
コンパクト・デジカメのビデオと内蔵のマイクで撮影しました。ぶっつけ本番で、しかも初めての編集で不出来ではありますが、ご笑覧下されば幸いです。
東北被災地を見る2012年4月
ベジタリアン世界紀行その4
寄稿文 藤原書店刊・季刊『環』vol.49/2012
自著のお知らせ
『いまこそ私は原発に反対します。』
(平凡社刊)ただ今全国の書店にて発売中。
定価:1800円+税 四六略装、総496ページ
手紙、小説、詩、短歌、俳句、批評、エッセイによる52人の52通りの思いと表現のアンソロジーです。鶴田静もチェルノブイリの子どもたちについて書きました。以前このブログに掲載した文よりずっと詳細です。どうぞ、本書でお読み下さい。
鶴田静訳『カラダにいいものを食べよう』晶文社刊の重版発売中です。アメリカの教師が書いた本で、楽しいイラスト満載。晶文社「子どものためのライフスタイル」シリーズは大好評。この本も初版が1985年なのに未だに重版のつづくロングセラー。311後にデータを最新に変えました。大人が読んでもためになります。
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ブック・リーダーその4
ベジタリアン世界紀行
第1章
その4 イギリス ウールズ 「緑の観光地-ソフトエネルギー実験場 CAT」
今回はイギリス、ウェールズにあるCenter for Alternative Tecnology=CAT(代替技術センター)のルポです。雑誌掲載分を転載でご覧ください。古い記事ですが今もまだ健在の施設とその技術は、原発0後の社会の参考に値します。エドワード・レビンソンの撮影したカラー写真満載でお楽しみ下さい。
その3. アイルランド 「情熱の革命家たち」ロマン派詩人、シェリーの登場です。
ロンドン その1 「ベジタリアンはラディカルだ」
ロンドン その2 「大英博物館のバーナード・ショウ」
世界約30カ国を訪れたベジタリアンとしての体験です。今はあまり訪れることの出来ない、イラン、アフガニスタン、パキスタンや、最近行ったロシア、ポーランド、ハンガリーなども追加します。中国やインドはもちろん、ギリシア、トルコも。
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