この月あの時


「楽しい休暇計画」
 午後のひと休みにデッキに出て、東側の向こうに目をやった。すると大空に浮かぶ雲の形がこれまでとは変わっている。量が増えて面積が広がり、白が銀のよ うに強く光り、むくむくとした巨大な力こぶがいくつも。地平線や水平線の真下からにゅうっと立上がる姿は、なるほど大きな入道のよう。入道とは坊主頭の妖 怪のことだそうだが、入道雲は積乱雲の別称である。この雲が出始めると確実に季節は新しくなる。夏、本物の夏がやって来たのだ!
 この青空の彼方にふと、東京など都会の積乱雲の様子が目に浮かんできた。高層ビルの後ろ側に、そのビルよりも高くそびえ立つ入道雲。それはもしかしたら 入道でなく、ゴジラに見えるのではないかしら(と昔の映画の連想)。意外かもしれないが、私は真夏の都会も好きだ。確かに、コンクリの道路と建物に囲まれ て窒息するような暑さだが、そんな中で青空を見上げ、真っ白に輝く雲を見ると、都会にいるからこその清々しさがより強く感じられるのだ。職場にいる仕事人 間諸氏もぜひ、休憩時間に空を見ることをお勧めしたい。広々とした気持ちになること請け合い。
 そう思って早速、会社にいる友人に電話をかけた。「とくに用事ではないのだけれど、今、雲がものすごく大きく出ているので、ぜひ見て。あなたの机のそば の窓からも見えるでしょ。気持ちいいわよう」。その夜、eメールが入った。「今日はわざわざ知らせてくれてありがとう。本当にすてきな雲だったわ。仕事の 疲れが吹っ飛びました。あんな雲をいつも見ているあなたがうらやましいわ」
 こんな雲を見ればやはり、自然の多い田舎に憧れるのも当然だ。そこで夏休みのプランを練り始めるのがこの頃。どこへ行こうか、誰と行こうか、何をしよう か……。実は私にはそれがとてもうらやましいのである。ホームオフィスで自由業を営んでいるものにとっては、世間一般の夏休みも休みでない。夏はどこも人 で混むから、旅行はたいてい休みが終わってからする。そこで世の夏休み中は、私たちは自宅でフル回転の毎日。仕事だけではない、〃休暇人〃が押し寄せてく るからだ。我が家は無料のペンションと化し、私は宿のおかみさん兼下働き、夫は亭主兼下足番に早変わり。そして夏休みが終わると、エベレストにでも登って きたようにへとへとに疲れる。
 そんなであっても、訪れてくれる人がいて私たちはうれしい。夏休みという一種の催事に私たちも参加して、楽しい気分になるのだもの。ゆったりとなごやい でいる人々と一緒にいると、こちらも心地好くなるのだ。
 そうだ良い案を思いついた。休暇人よ、夏休みにはどこへも行かず、私たちのような休暇のない寂しい人間を、お宅に招いて遊んでもらえないだろうか。それ とも、家を交換しましょうか。私たちは久し振りの都会生活を楽しみたい、かつて住んでいた頃のように。そしてあなた方は田舎の暮らしを体験するのだ。人里 離れた一軒家で、茄子やトマトを畑で採り、それを自分で料理し、家の周囲の草取りをし、水撒きをし、窓拭きをし、床磨きをし、井戸が涸れたら水をもらいに 行き……。ああ、こんなはずでは……。休暇が終わるときっと、モンブランに登ってきたように息が切れるでしょうね。 今住んでいる自宅を気軽に貸し借りす ることは、まだ日本人の間では馴染みが薄いようだ。私がイギリスに住んでいた当時は当たり前にやっていた。鍵束を渡されて「じゃあね、ゆっくりしてね」。 私が湖水地方を散策している間、ロンドンの私のフラットでは、ある一家が花の都を楽しんでいる、といった風に。休暇のための資本金がなくても、信頼関係さ えあれば、どうにか作り出した時間を大切に有意義に過ごせるというもの。今度の夏休みにはこのような計画を立ててみましょう。
「そんなこと言ったって、こんな小さな家の狭い部屋には誰も泊めることは出来ないわ」と困っている方、お互いに信頼していれば見栄を張る必要無し。夏だか ら雑魚寝でいいのです。積乱雲のようにふわふわの布団でなくてもぐっすり眠れるでしょう。

yuai2004/7月号  
yuai誌は日本で最大の労働組合団体、ゼンセン同盟の機関誌 です