あの時こ の月
「黄金
週間という休日」
  赤、青、黄、色とりどりのこいのぼりが皐月の空を泳ぎ、その下の人の世は大型連休でざわついている。ことに私の地域は観光地なので、小さな町の狭い道 路は交通渋滞になり、身動きがとれない。お客を招いてもその送迎が大変で、帰りの電車やバスに乗り遅れないように送り届けられるか、と車を運転する夫は神 経を磨り減らす。特に休日ドライバーの運転は乱暴で、ケータイで喋りながら、センターラインを越える、スピードを落とさない、アイドリング……と冷や汗と 立腹のしっ放しなのだ。精神衛生上もよくない。
 そんな状態でも、連休にはこれまでさまざまな催しを我が家で開いてきた。写真講座、展覧会、環境を守るイベントなど。けれども観光がますます発展し、大 型バスが何台も乗り入れるようになったので、私たちの小さな〃パーティー〃は開かなくなった。この際、地域の発展に譲ろう、と。そこで私たちにとって黄金 週間は、どうってことない普通の日々である。
 水の張られた田んぼの中で、わが世の春、と歌うカエルたちの合唱が楽しげだ。ゴ一ルデン・ウィークは田んぼにもやってきた。いつもは一人か二人だけで働 いているのだけれど、この時期は一家総出で田植えの労働の日々。若年の子どもたちも遠くの親戚も集まり、力を合わせて実りの日のために身を粉にしている。 そんな光景は自然にも負けず劣らず美しい。自給のための連日の労働だから、連休ならぬ〃連給〃とでも言おうか。
 ところで改めて、黄金週間とはなんぞや? と調べてみると、黄金は「貴重なもののたとえ」とあり、例として「黄金週間」とある。なるほど、人が何日も続 けて休暇を取れること、その休日の数が多いので貴重なのである。まったく、仕事や労働をする者にとって休日ほどありがたいものはない。すると私たちのよう に、自分の都合でいつでも休暇を取れる自由業者は、この特典または恩恵を十分味わっていないことになる。それはもったいない。
 それでは私たちもせめて楽しいことをしよう、とどこにも遠出をしない隣人たちと集う。声をかけると、在宅で手持ちぶさたな人がけっこういるものだ。
「どこに行っても混んでるものね」
「ちょうどよかったわ。久し振りにケーキを焼いたから持ってきたわ」
「自分の家ばっかりじゃ、子どもたちが退屈してねえ」
「あら、子どもばかりじゃないわ。うちのお父さんなんか、何日も会社行かないから、もう暇をもてあましているのよ」
「でも、自分だけゴルフ行くんじゃなくて、家でのんびりの方がいいじゃない」
「ううん、いない方がずっと楽よ」
 こんな大人の会話をよそに、子どもたちは、キャアキャアと悲鳴に近い叫び声を上げて、廊下やテラスや庭を走り回っている。その後先を犬たちが右往左往す る。
 私は庭で育てたグリンピースで豆のスープを、レタスと赤カブを摘んでサラダを作った。パン焼きをしている人から焼きたてのクロワッサン。近くで摘んだ山 菜のちらしずし。たけのこの南蛮揚げ。庭の木から集めた桑の実のタルト。珍しい赤米の柏餅。皆、歩いて帰れる距離だから、ワインやビールも無礼講だ。バッ クグラウンド音楽は懐かしのロック。今もまだ現役の「ローリング・ストーンズ」に肩を揺すり、ビートルズにしんみりとする。
 ところで最近はどこの家庭でも、人が集まる時には煙草の煙は上らない。喫煙する人はたいてい室外で吸う。これはとてもよいエチケットだ。なにしろ癌の原 因の一つは喫煙にある、とさえ言われるのだから。そして間接喫煙の方が害がより大きいというのだから。ある時お蕎麦屋で、囲炉裏を囲んだ対面の席で若者た ちが喫煙していた。「せっかくのお蕎麦の味が煙草の味になっちゃうのよね」と遠慮がちに告げたら、「あっ、すみません」と慌てて消した。「ねっ、おいしい でしょっ」と言ったら彼らもほほ笑んでいた。エチケットを守ることは自分自身のためにもなる。五月三十一日は世界禁煙デーだが、毎日を禁煙デーにしたいも のだ。ちなみに、節煙より断煙の方が禁煙にもっていきやすいそうだ。
 たくさんのお金をかけた旅行をする大型連休ではないけれど、家庭でのこんなつつましい健康的な集いも黄金である。

yuai2005/5 月号  
yuai誌は日本で最大の労働組合団体、ゼンセン同盟の機関誌 です