こ の月あの時


              3月「季節のように変わりたい


 「受かりました! いの一番にお知らせしたくて……。あの時はありがとうござ いました」
 一度しか会ったことのない読者から、喜びの電話。こちらも嬉しくなる。ふと目を先にやると、窓の向こうで菜の花が光っている。
 私の講演先に、おずおずと彼女が訪ねてきた。小さな子を抱え、何か転機をと思いあぐねていたのだ。悩みの深さにしては短い会話の後で、彼女は心晴れ晴れ として帰っていったのを覚えている。とても美しい、在日外国人の三世だった。そう言えばその日も、こんな風にぼんやりと明るい春先だったっけ。
 私は忘れていたのだけれど、彼女の言うには、私の助言を受けて勉強を続け、ある大学の通信教育部に合格した。これからカウンセラーになるべく勉強をする と言う。家庭と両立させなければならないから、大した努力がいることを彼女は覚悟している。弾む言葉の中にも、その決心の張り詰めた緊張感が感じられた。 電話の向こうの母と子が目に浮かぶ。
「あなたが羨ましいわ」と私は本音を吐いた。受験の合否のニュースに接する頃になると、私は苛立つのだ。この年齢になっても未だ、もう一度勉強したいと 思っているのだが、行くとしたら希望は、外国の大学である。そのために、今あるすべてを一時お預けにする勇気が出ないのだ。夫は、そうなさい、と軽く言う が、いや、口先だけに違いない。実際には彼だって困るくせに。
 いつの間にか〃身重〃になってしまった自分に気付く。身軽だった日々が懐かしい。私は一人、どこへでも行った。距離で言えば地球の三分の二。私はなんで もやる勇気があった。じゃがいも掘りやりんご摘みのアルバイトに始まって、イギリスの大学の図書館のパートや料理の研究生。今で言うフリーターのように、 自分の都合の自由に満ち、好奇心を満足させることもできた。思い煩うことはなく、執着する物も人もいなかったが、それでも不安や寂しさなど感じなかったの だ。
「そちらに遊びに行きたいの。やっと一人になれて、どこにでも飛んでいけそうよ」
 おやまた、明るい声の電話。長年の友が、ついに結婚生活を解消したと言う。救われたのは、彼との良い友人同士の関係は、これからも続いていくだろうこ と。子供のいない彼等は、その身だけは〃軽い〃のである。彼女はまた、アメリカでの研究生活に入るという。
 再び私の心は揺れ動く。人が新しい進路に向けて旅立つことへの羨望で。出来るなら自分も、何かを変えたい。夫と二人、どこであろうと根を張ることの喜び も大切さも知っているけれど、心のどこかにある短い根が、別の方向に向けようとぐいぐいと、自分自身の根を引っ張っている。だが土は堅い。
 まあまあ、と気持ちをなだめて散歩に出れば、黄色い菜の花畑に変わり、春爛漫に向かうレンゲの畑が、赤紫の花々を風にそよがせ、蜜蜂にその蜜を惜しげも なく与えているのだった。自然もまた、緩やかに変化している。                           (「マダム」鎌倉書房)