愛犬と夫婦の家族愛―「犬がくれた幸福」

7章 おもてなしの方法

お客は美人かい?


 私の友達が二人遊びにやってくる日。朝から昼食の用意で忙しく、ラッキーには目もくれてやれない。ラッキーはちょっとは私の気を引こうと、キッチンやリビングや、廊下やテラスや、私が立ち回るのが見えるところに彼女も移動しながら、地面にどさっと身を埋め、ちらちらと上目や横目で私を見ている。
 今、私はリビングで、今朝夫が裏山から落としてきた山桜の大振りの枝を、縦一メートルはあるような大きな陶製の壺に生けている。(実はこの壺は、元は家が建っていて今は草原になっているところに埋まっていたのを、夫が掘り出してきたものだ。ハッピーが見つけ、ワンワンと吠えて彼に知らせたという―ほんとかな?)切り落とした余分な小枝を、一リットルくらい入る大きさの、これも陶製の容器の上の方についている小さな穴に挿して、それをチェストの上に置く。(その壺は、昔の湯たんぽなのだ!)最後にクッション・カバーとお対に作られたテーブルクロスを広げると、部屋は美しく整った。
 ぐるっと部屋を見渡し、ふうっと溜め息をついて私は自己満足にふける。たかが年下の女の友達なのに、なんでこんなに一生懸命に掃除したり料理したりしているのだろう。もちまえの見栄と完壁主義が、ちらちらと後光ならぬ隈のようにからだを包んでいるのを、私は自分が映ったガラス窓に見て取った。
 この友人について夫にこう説明した。
「ほら、覚えてる? いないか。水恵さんの友達の実野さんよ。二人はとっても仲が好かったじゃない。私とはそんなでもなかったけど。ずいぶん前からフランスに住んでいて、写真の勉強をしているんだって。今は一時帰国しているのよ。その実野さんを水恵さんが田舎の我が家に連れてきたいんだって」
「そうか実野さん、写真をやっているんなら、僕と共通するな。会うのが楽しみだなあ。美人かい?」
「またあ。美人だったらモデルになってもらいたいんでしょ。でも前に会った時はすてきだったわよ。それにフランスに住んでいるんだから、洗練されたんじゃないかしら」
 水恵は私の昔の仲間だったが、今は気鋭の心理学者として雑誌で若い女の子のセラピーをやったり、専門書の翻訳をやったりしている。彼女が絵画や音楽を使ってするセラピーはなかなか人気があり、今やマンションを事務所にし、助手を使っているほどだ。
 彼女は並ではない個性を持っている。すべてが自分を中心にして星が回っているらしく、その長けた話術で会話を独占するのだが、それが無口で口下手な私には心地がいいのだ。数少ない私の好きな人物の一人である。そして彼女のセラピーには素直に従ってしまうのが自分でも不思議だ。人の意見を聞かないけっこうな頑固者の私なのだが。
 食卓は、日本各地から集められた陶器や磁器や時代物の染め付けで美しく飾られ、昼食の準備もすっかり済んだ。それなのに彼らはまだ到着しない。車が混んでいるのか、道に迷ったのか。夫も待ちくたびれたようだ。ラッキーでさえ落ち着かず、あっちをうろうろこっちをうろうろとしている。電話くらいくれればいいのに。
 私たちみんなのやきもきが通じたのか、わが家に入る一本道の坂を、とうとうシトロエンがよろよろと上がってきた。ああやっと着いた。ラッキーと一緒に走って入り口まで出迎えた。水恵が「おーい」と叫びながら車のドアから出てきた。いつもの黒っぽい男物のシャツとジーンズ。二〇年間変わらない服装。神秘的といえば神秘的。そして実野は……しかし。
 助手席に乗っているのは変なおばさん、いやふつうの農婦だ。ぴらぴらの安物のスカーフを被った頭には、ピンクのカーラーがリボンのようにならんでいるのが見えた。首には絞りのてぐぬいを巻いている。畑に行くときの夫のようだ。絣のもんぺを穿き、割烹着 (と母が呼んでいた)長袖付きのエプロンをしている。絣は木綿地に織り込んだ本物の絣ではなく、化繊地に模様を印刷しただけのものだ。
「覚えている? 実野さんよ」
 ええっ。なあんだ。フランス帰りの美女だなんてとんでもない。だがよく見ればまあまあの美人だ。なんでこんな格好しているの? と問われる前に、
「変身願望でね。田舎にくるから農婦になりたかったの。この格好で写真撮りたいの」  私は思わず吹き出してしまった。田舎に憧れるのは分かるけれど、農婦の姿まで真似したいとは、本物志向もここに極めり。
 水恵と実野のお喋りばかりが食卓をにぎわせて、せっかく私が作った数々の料理を賞味するのは胃袋ばかり。私が腕を振るったわけは、水恵が自称するほど料理が上手く、それは私が度々ご馳走になって証明済みだからだ。負けず嫌いが今日のご馳走に反映したのである。シチュー・コロッケが主菜なのだがそれは、かつて水恵が食べて美味しいと感激したもの。それをセンチメンタルから作ったのだ。たかがコロッケでも、これはとても手の込んだ料理だ。ジャガ芋とブロッコリーと人参と椎茸をミルクで煮こんでシチューを作り、翌日まで取って置くと、ほどよい濃さに固まっている。それをコロッケにして揚げる。狐色の熱々の皮を真ん中で割ると、とろ〜っと真っ白なクリームが流れ出てくる。滑らかで、こくがあり、しゃれた絶品なのである。それにはチキンやビーフやソーセージは使われていないのだが、それでもラッキーがむさぼり食べるほどおいしい。