こ の月あの時



© Edward Levinson

「若人への願い」

 新年のお祝いを申し上げます。今年は災害や人 災や、悲しいこと恐ろしいことが起こりませんように。と、 自分自身の小さな幸福よりも、世の中の大きな平安を願う元旦である。それほど、お正月がのどかな冬の休日だったのが、昔のことのように思われる昨今の世情だ。
新年早々、着物で着飾った女の子たちが次々に訪 れて、我が家はしばし華やぎ、お正月にも負けない愉しさ だ。それは成人式の日。
 さつきちゃんは、彼女がまだ幼稚園の時に、私 たちが東京からこの農村に引っ越してきて隣人同士に
なった。自転車を引いてよく遊びに来たが、お目 当ては私と一緒に作るおやつだ。農家の子なので畑仕
事に詳しく、我が家でよく、田植えやサツマ芋掘 りや種蒔きや苗の植え付けを手伝ってくれた。「うち
ではね、こうやるんだよ」と小さな手で土を掘り 起こして見せてくれる。祖父母や両親から教わったや
り方を、そのまま伝授してくれる私のかわいい農 業の先生だった。
 ティーシャツやズボンを泥だらけにして、鶏の ように庭をかけずり回っていたさつきちゃんが、今日
は美しい和服を着て、お化粧をして、孔雀のよう になって少し照れている。からだをぐるっと一回りさ
せて、その成長した晴れ姿を見せてくれた、孔雀 が羽を広げたようにして。子どものいない私には娘同
様だったので、他人の子ながら「まあ、こんなに 大きくなっちゃって」と喜びもひとしおである。つい
涙を零してしまった。
 はるこちゃんは友人の娘さんだが、やはり幼い 時から知っている。子どもの頃と比べたら、見違える
ほど美しい女性になった。ふだんは活発なのに、 着物を着ているせいかとてもおしとやかに見える。〃
しとやか〃なんていう言葉、今では死語になって いるようだが。 
 二人の若い女性は夫に記念写真を撮ってもら う。スタジオの中で、自分で化粧顔を整え、自らポーズ
を考え、表情を作り、いかに自分を美しく見せる かに腐心している。なるほど、現代っ子は何事にも恥
じることなく、自分をアッピールする術を知って いるのだなあ。(でもどうか、電車の中でお化粧なん
かしないでよね。)
 そんな彼女たちを見守っていてふと、生まれて こなかった私たちの子のことを思ってしまった。無事
に生まれていたら、ちょうど彼女たちと同じ年 齢、今年で二十歳なのだ。男女どちらかは分からなかっ
たが、どんな子でどんな風になっていたか、想像 するだけで愉しい。想像だけでしかないのが悲しい。
さつきちゃん、はるこちゃん、私たちの子どもの 分まで幸せになってね、と願わずにはいられない。
 私が成人式につけた着物の帯は室内の壁に飾っ てある。金襴緞子の華やかな帯をつける機会はその日
しかなかったが、母から譲られたのでどうしても 手放せない。ずっと手元にある。でも箪笥のこやしで
はもったいないので、壁にかけてだらりと下げ、 インテリアにしているというわけ。帯と言えば、母の
遺した他の何本かの帯は、短く切ってランチョン マットやテーブルランナーにしている。眠らせている
のでなく活用したくて。
 二十歳か。思い返すと私の二十代は苦しかっ た。東京の赤坂近辺の個人事務所で働いていたのだけれ
ど、書類ばかりを扱うその仕事が好きでない。 もっと創造力を発揮できて熱中できる仕事はないだろう
か、と暗中模索の毎日だったのだ。それから苦節 十年。三十代でやっと求めるものを見つけたのだった。
 うれしいことに、さつきちゃんもはるこちゃん もすでに自分の望む道を行っている。一人はじきに母
親になる。一人は海外就職を目指して語学大学で 勉強している。再び思う。もしあの時生まれていたと
したら、私の子どもはどんな道を歩んだのだろ う、と。言えることは、この自然豊かな農村に暮らして
感性を高め、彼女たちと友達になり、心豊かな青 春を過ごしただろうと。ああ、どうか、若い命が途中
で絶たれることのないように。これが新年の私の 祈願である。もう子どもでない彼女たちに、私は初め
てワインを振る舞った。玄関の植え込みで、福寿 草の黄金の花が、彼女たちの着物に負けずにぴかぴか
光って祝っている

           yuai2006/1月号