こ の月あの時



© Edward Levinson
今年を日記で振り返る」

    震える枝の上の枯れ葉が、一枚一枚、はらはらと落ちていくように日々が去る。山の背
を転げ落ちて太陽が沈み、冬至に向かって日は短 くなる一方だ。心寂しい。特別に何かを
始めもしないうちから、せわしい気分が心に張り 付いて離れない。夫など、「先生も走る」
と独り言を言いながら、本職や家の仕事を休む間 もなくやっている。実は一年のうちで私
が一番嫌いなのが、今月十二月だ。
「行く年来る年」と言えば、どこかのテレビ番組 のタイトルだったかしら。だれもが感慨
深くこの一年を振り返り、同時に逝った人々を思 う。そんな時私は、毎日付けている日記
を読み返すことにしている。すると発見するの だ、たった一年の間に忘れていたことの何
と多いことかを。そんな時は細かくつけてきた日 記に感謝する。
 どもがいる親なら子育て日記をつけて、大きく なった子どもに読んでもらうなんてことも
良いだろう。子どもはきっと、知り得なかったそ の当時の親と自分のことが分かり、感動
し感謝するだろう。けれども日記とは、誰かに読 ませるためでなく、自分のために書くも
のだと私は考えている。
 私は小さい頃から日記を書くのが好きだった。 そこに他人に言えない心の内を暴露して
自分を癒していた。あまりに正直に書いていたの で、日記帳は秘密にし、決して誰にも見
られないように隠しておいた。ところがである。 ある時、いとこの家に泊まりがけで遊び
に行った。三日後に帰宅して、楽しかった滞在を 書こうと思い、いそいそと日記帳を取り
出してぺージを開いた。すると、ああなんてこと だ、父の太いペン書きの文字が目に飛び
込んできたのである。
 数日前に両親が喧嘩して私は泣き、母をいじめ る父を「冷酷な人だ」と日記に書いたの
だ。その行を書きつぶすように、「おとうさんは 冷酷なのではない」、という言葉が、紙
に押しつけられたインクの青くにじむ中にあっ た。私は息が止まるほど驚いた。そして、
読まれた、というよりも、見られたということに 怒りを感じた。私の秘密をあばいた父が
憎らしかった。しかし、父が怖くて何も言えず、 私は黙ってそのぺージを破き、焼き捨て
た。後ほど冷静になると、今度は自分のことを読 んだ父の反応が気になったが、父は知ら
ん顔をしていた。私も知らん顔をしていた。それ から何年間かは日記をつけなくなってし
まったのである。
 今思うと、あのぺージをとっておかなかったこ とが残念でならない。亡き父と幼い私の
真撃な葛藤が分かり、自分自身をよりよく理解で きただろうから。けれどもそれが夫婦の
間だったらどうなのだろう。読まれたら困ること を書いて、盗み読みして、問題が起こる
ことなどあるのだろうか。さもありなん。私の場 合、幸か不幸か夫は外国人で、漢字を含
む日本文は良く読めない。そこで私は安心して、 自分の心の内を正直に明かした日記を書
き続けている。
 忙中閑あり。大晦日に一年分の、いや昨年の十 二月からの日記を読んで過ぎた時を思い、
逝った人々を偲び、来る年の良きことを、これか ら出会う人々との良き交流を願う。つい
でに反省をし、来年はこんな失敗や不愉快なこと は起こさないようにしよう、と、一日速
い願掛けをする。
 近所の人に呼ばれて一緒についた餅を、切り餅 に切る。と間もなく除夜の鐘が聞こえて
くる。私と大は分厚いコートを着て、近所のお寺 に除夜の鐘を撞きに行く。境内では赤々
と薪が燃え、焼き餅のいい匂いが漂い、甘酒が振 る舞われる。ふるさとでお正月をする帰
省した若者たちの甲高い笑い声が、漆黒の空に炎 とともに勢いよく吸い込まれて行く。
           yuai2005/12月号